大牟田市民に愛されたご当地メニュー「おおむた洋風かつ丼」復活プロジェクト

●炭鉱の隆盛・衰退と運命をともにした大牟田松屋は、大牟田のシンボル的存在の一つだった
 大牟田市は江戸時代末期より石炭化学工業で栄え、昭和30年代には人口が20万人を超えた。当時、石炭採掘という危険な仕事に従事した炭鉱マンたちが「宵越しの金は持たない」と気前良くお金を使い、独自の食文化が形成されるとともに、中心市街地が拡大し、大規模商業施設が次々に立地した。

 福岡の松屋呉服店が大牟田市に進出したのは炭鉱最盛期を迎える前の昭和12年のこと。売り場面積は約1万㎡、鉄筋コンクリートの6階建て。当時の市内には鉄筋コンクリートの建物や、エレベーターを備えている施設が少なく、市民にとって「大牟田松屋に行ってエレベーターに乗ってきた」という体験は一種のステータスだったそうだ。しかし、エネルギーの主役の座が石炭から石油に代わり、三池鉱の縮小に伴う人口減少や、福岡・熊本都市圏への顧客流出等で、大牟田松屋の売上は1981年をピークに減少、1992年以降は赤字が続き、ついに2004年7月2日に閉店、2007年には建物が解体された。

 私は大牟田松屋に行ったことは無いが、大牟田や熊本県北、筑後地域の方々に思い出を聞くと、「子どもの頃は松屋に行くのが楽しみでたまらなかった」「年に数回連れて行ってもらう、特別な場だった」など、様々な思い出を聞くことができ、周辺の住民にとってハレの場として愛されてきた存在だったのだなと感じる。


●洋風かつ丼は、閉店・解体された旧大牟田松屋レストランの人気メニューだった
 大牟田松屋の6階には、有明海が見渡せる屋上遊園地やファミリー食堂があり、多くの家族連れで賑わったそうだ。この食堂の名物メニューが「洋風かつ丼」である。開店とほぼ同時に開発されたメニューとされ、値段は650円。楕円形の皿に盛られたごはんの上にロースカツが乗っていて、さらにその上から鶏やさば節等でとった出汁と地元産の醤油、ウスターソースで味付けされたとろみのある「あん」がかけられる。傍らにはキュウリやトマト、スパゲティ、グリーンピースがトッピングされていた。

 この洋風かつ丼は大牟田市民にとても愛されており、「毎月数回食べていた」「大牟田松屋といえば洋風かつ丼」という方も多い。親に大牟田松屋に連れて行ってもらい、玩具や洋服を買ってもらった後に、洋風かつ丼を食べる。また、たまに自分へのご褒美として洋風かつ丼を食べる。そんな、ちょっとした非日常感、高級感のある素敵な思い出とともに記憶に残っているような存在だ。

 しかし、大牟田松屋の閉店とともに食堂も閉鎖された。一時期、食堂の元従業員が経営する飲食店で「洋風かつ丼」というメニューが出されていたが、後継者不足等で閉店したそうだ。それ以来、提供しているお店が無くなったために寂しく思う市民は多く、コアなファンを中心に、その復活が望まれていた。


●自称「大牟田市内屈指の洋風かつ丼好き」が集り、オリジナルメニューを復活させた
 こうした洋風かつ丼ファンの代表格が、市内できのこの栽培・販売事業を営む大塚力久さんだ。大塚さんは幼少時から洋風かつ丼が大好物で、大牟田松屋閉店後も独自にレシピの復刻に挑み、奥様によると少なくとも百数十回は試作を繰り返したそうだ。「洋風かつ丼を食べることができるお店を作りたい」という思いからの挑戦であった。

 大塚さんの周囲には、商工会議所の山科敏彦さんをはじめとして、負けず劣らずの洋風かつ丼好きが集い、4〜5年前から、レシピの復活に向けた話し合いを開始していた。

 そして試行錯誤の末の平成25年、ついに大塚さんが「再現できた!!」と納得がいく洋風かつ丼のレシピが出来上がり、これを機に復活に向けた動きが加速。8月には「旧松屋デパートの洋風かつ丼復活プロジェクト研究会」が組織され、試食会が開催された。研究会のメンバーは商工会議所の副会頭や食品、サービス業部会長の他、地元の醤油メーカーや洋風かつ丼愛好家、大牟田松屋の元社長と、6階食堂の元料理長といった方々である。私も大牟田ブランド化の専門委員を拝命している関係で、この研究会にも参加し、事業計画づくりのお手伝いさせていただくことになった。

 松屋の元従業員の方々10数名が参加した試食会等、10数回にわたる試作を経てレシピや洋風かつ丼の定義が確定、メニューの正式名称は「おおむた洋風かつ丼」となった。市内の企業、個人による「大牟田洋風かつ丼応援隊」の組織化や、老人介護施設での食事、学校給食での提供に向けた調整が進められるなど、市民による支援の動きも広まっている。また、市内イベントでハーフサイズ300食を、300円で限定販売したところ、約30分で完売してしまうなど、人気や注目度は高い。このオリジナルレシピは公開され、継承を希望した大牟田市内の2店舗で7月2日から提供される。他に、市内数十店舗で、できるだけ上記定義を守りながら、店舗毎の独自のアレンジが加えられたメニューとして提供される予定だ。


●ご当地グルメづくりはまちづくり
 この「洋風かつ丼復活プロジェクト」は、ご当地グルメを復活させ、飲食店の売上を拡大する取り組みだけに留まらない。地域ブランドづくりや特産品開発、ご当地グルメづくりにおいて、地元住民へのブランド価値の浸透・共有は、とても大事な要素だ。地元ファンは日常的な顧客であり、熱心な宣伝隊である。まずは大牟田市民が、洋風かつ丼に親しみ、愛着を持ち、この復活の動きをともに盛り上げ、楽しむことが重要で、市外への発信よりも、市内での仲間づくりや浸透に力を注ぐことが今は大事である。

 また、洋風かつ丼の復活プロジェクトは、かつ丼を通して大牟田市民が記憶を思い出し、語り合うことで、地域への愛着を感じたり、多世代の協働を促進していく「まちづくり」の一環だ。そして、その盛り上がりが少しずつ様々なメディア、クチコミで拡散されることで、大牟田の認知を広げ、まちに来るきっかけになる。なお現時点で、新聞に20回程度、テレビ8番組で取り上げられ、大牟田市外への情報発信機会も増加している。

 加えて、美味しいことは大前提として、「できるだけご当地に、昔からあるものを素材として取り上げること」と、「プロジェクトを推進していく地元リーダーが存在すること」が重要と思う。今回のプロジェクトでは、大塚リーダーをはじめとしたコアメンバーが、市内の様々な企業、団体に所属し、洋風かつ丼への郷愁を心に抱く「洋風かつ丼ファン」達を次々に巻き込んでいる。この情熱、巻き込み力には本当に感心する。また、大塚さんの回りに集まるメンバーは、建築関係やファッション関係等、自分のビジネスとは直接関係がない方々であり、まちの活性化、にぎわいづくりを目的とした活動である。こうしたまちのための活動であるということも、徐々に活動が広がりを見せ、メディア等で取り上げられている要因のように思う。


●大牟田のソウルフードとして愛され続けるメニューになりますように!
 今後は、大牟田松屋閉店からちょうど10年となる平成26年7月2日にオリジナルレシピの復活イベントが開催され、以降、洋風かつ丼のマップづくり、市民応援隊の結成や学校給食、老人介護施設での提供等が検討されている。ゆくゆくは、若年層にも定着し、大牟田のソウルフードとして受け継がれていくものとなってほしいと願っている。

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