今年度、NPO法人価値創造プラットフォーム代表の石崎さん(商店街よろず相談アドバイザー)からのご紹介で、奄美大島の南端、瀬戸内町における観光客の回遊・消費の実態調査業務を担当させていただいた。発注元は瀬戸内町古仁屋の36店舗の商店主らで構成する任意団体「せとうちポイント会」(政岡博重会長)で、全国商店街振興組合連合会の「地域商店街活性化事業」を活用した調査・研修事業の一環であった。

 瀬戸内町は、奄美空港から車で約1時間半南下したところにある。昭和31年、4つの自治体が合併し、瀬戸内町が発足した当初の人口は26,638人であったが、平成22年の国勢調査では9,874人と、54年間で人口はほぼ3分の1となっている。面積は約240㎢で、奄美大島最南端の地域と、加計呂麻島、与路島、請島などの島を町域とする。その人口の約半数が「古仁屋」という大字に住んでおり、瀬戸内町の商業、行政、交通、地域活動などの拠点となっている。


●土木事業への支援からソフト面の支援へ
 奄美群島に対しては、国の「奄美群島振興開発特別措置法」に基づく予算措置があり、その振興のために1953年の日本復帰以降、毎年数百億円の国費が投入され、幾多の土木・建設系の公共事業が実施されてきた。しかし、平成26年1月に奄美群島振興開発特別措置法が改正され、平成26年度の補助金251億円のうち230億円は従来通りのハード事業への補助だが、残り21億円がソフト面を中心とした施策へ投入されることとなった。この21億円のうち2.4億円が冬季の閑散期対策として航空路線の運賃軽減措置にあてられ、それを受けて全日空系のLCC「バニラ・エア」が成田空港~奄美空港間の直行便を新規就航することを決定した。

 これまで関東から奄美大島への空路はJALしか選択肢が無く、その運賃は片道の普通運賃51,800円、28日前購入の割引運賃が片道32,300円と高価であったが、バニラ・エアの夏期の最安運賃は8,000円、冬期最安運賃は5,500円という安さ。

 このバニラ・エアの就航により、奄美大島はにわかに活気づいている。町の人達は、「観光客が増えた」と実感しており、民宿では客が増加して忙しいと言っている。では、果たしてどれくらい観光客が増加し、どのような観光・消費行動を取っているのか調べて欲しいというのが、せとうちポイント会からのオーダーであった。そのため、奄美空港や、瀬戸内町古仁屋の渡船場において、来島者へのアンケート調査を実施した。また、同時に行政や観光関係事業者への聞き取りを行うとともに、観光交流が移住にどのようにつながっているのかを知るために、Iターン者への聞き取りも行った。今回、せとうちポイント会の許可を得て、この調査結果の一部をご紹介したい。


●観光客は新規就航後の半年で4万6千人増加
 奄美空港管理事務所の統計資料によると、平成26年の1年間の奄美空港定期便利用者は平成25年と比較して約4万6千人増加した。増加したのは7月1日のバニラ・エア就航後であり、実質的には7月から12月までの6ヶ月間でこれだけ増えている。特に羽田・成田から奄美空港への乗降客数は、月によってはほぼ倍増した。

関東~奄美空港便の月別乗降客数(奄美空港管理事務所
関東~奄美空港便の月別乗降客数.png












 また、興味深いことにJALの乗降客数の減少幅は1~2割程度であり、バニラ・エアがJALのシェアを奪ったというよりも、バニラ・エアが新規の需要を開拓している。今回実施したアンケート調査結果でも、瀬戸内町に「初めて」訪れた観光客は、回答者全体では59%であったのに対し、LCC「バニラ・エア」を利用した観光客は94%が「初めて」訪問したと回答しており、バニラ・エアが新規顧客を呼び込んでいることを裏付けている。

エアライン別来島回数
交通手段別来島回数.png














●バニラ・エアを利用した観光客はアクティブな20~30代の女性
 また、アンケート結果を大まかにまとめると、バニラ・エアの利用者は、関東在住、20~30代の女性が多く、家族や友人・知人の口コミにより奄美に行こうと思いたち、SNSやスマートフォンを活用して情報を検索しながら旅をしている。さらに、バニラ・エア利用者は各種アクティビティ・体験費などの支出が全体平均の約2倍であり、若く、アクティブな女性が多い。瀬戸内町では、平成26年2月より「女子旅」の商品開発や情報発信事業を進めておられ、今後、こうした客層をターゲットとした様々な商品、サービスが生まれてくることが期待される。


●2.4億円の運賃補助が、多大な波及効果をもたらした
 今回把握した目的別消費額・宿泊率等をもとに、平成26年の一年間の定期便乗降客増加分(約4万6,000人)がもたらした奄美大島島内への経済波及効果を算出すると、約40億円と推計される(アンケート調査結果、総務省「産業連関表」「家計調査」をもとに㈱よかネット推計)。また、奄美大島出身者の帰省や島内から関東への旅行者も増加している。
 このように、2.4億円の運賃補助が10倍以上の波及効果をもたらし、地域の経済だけでなく、地域内外の人と人とのつながり、賑わいなど、多大な効果をもたらした。
 観光客の増加にあわせ、宿泊施設の開業も相次いでいる。福岡のホテル運営会社が3年前から閉館していた古仁屋のホテルを買い取り、2014年10月にリニューアルオープンした。また、加計呂麻島でもペンション、ゲストハウスがオープンし、他にも新規開業に向けた動きが出てきている。さらには、新たに関西からLCCが就航するかもしれないという噂もあり、観光については明るい話題が多い。


●海や人の魅力に感動し、リピーターへ
 奄美大島、加計呂麻島の魅力を聞いた設問では、「とにかく海が綺麗、海の青さ」など「海」に関する回答が45件で最も多かったが、次いで「人が温かい、人がのんびり、すれ違う人がニコってしてくれる」など、「人の魅力」についての意見が37件であった。その他、「手付かずの緑、マングローブ」など「自然」が22件、「島料理、鶏飯」などの「食べ物」が19件と続いた。

 こうした海、人、自然の魅力に多くの人々が惹きつけられ、感動し、リピーターになっている。私も、今回の業務を通じて瀬戸内町のことが大好きになった。奄美大島本島も良い景観なのだが、古仁屋から20分かけて渡ることができる加計呂麻島のとびきり澄んだエメラルドグリーンの海や、入り組んだリアス式海岸、その背後のこんもりとした山々や南国情緒たっぷりの町並みが作り出す景観は特に素晴らしかった。また、黒糖焼酎や新鮮な海の幸、沖縄と似た島料理など、ご当地独特の食も、これまた感動モノ。11月上旬、調査のために加計呂麻島を訪問し、宿泊したが、夜の星の瞬きと流れ星にこれまた感動。2月上旬の訪問では、この時期限定のタンカンを堪能することができた。瀬戸内町、加計呂麻島は本当に地域資源のポテンシャルが高く、しかも季節ごとに異なっている。そして観光地化されていない分、地域固有の資源や生活風景が残っていると感じる。

奄美のビーチはどこも美しい!
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黒糖焼酎、島料理、島唄。奄美大島の夜を体感。
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●地理的制約に縛られず仕事や生活をする方々が移住
 こうした地域資源に引き寄せられた観光客がリピーターとなり、さらには移住に繋がっている。アンケートでは、「奄美大島・加計呂麻島への移住に興味がある」という割合は36%であり、実際、町が把握しているだけで平成20年度から25年度までの6年間で101名が移住している。

 移住した方々の職業は、よそ者ならではの目線で島の魅力を発掘し、飲食店や民宿、ダイビングショップや観光ガイドなどを営まれている方、農業・漁業など様々であるが、中でも印象に残ったのが、加計呂麻島にここ2~3年のうちに移住してきた3名の方々だ。

 一人目は、加計呂麻島のポータルサイトかけろまウェルカムを運営しておられる小野寺さん。
 小野寺さんは、関東のベンチャー企業でプログラマーとして働きながら「いずれ島暮らしをしたい」と漠然と考えていたが、一度訪問したことがある加計呂麻島の良好な物件が空いたとの情報で移住を即断し、退職。現在は島の店舗や団体のHPを作成したり、クラウドソーシングサイト(主にフリーランスの方々を対象とした公募案件・委託業務を掲載するサイト)で仕事を受注している。

 2人目は青木薫さん。青木さんは、美大を卒業後、デザイナーや教員をされていたが、3年前に諸事情で加計呂麻島に移住された画家。現在は、イペルイペ油画制作所の代表を務め、ネットで送ってもらった写真をもとに肖像画を作成し、データ納品するという事業を展開されている。

 3人目は新進の小説家・ブロガーの三谷晶子さん。「未来住まい方会議」というウェブメディアの、女子的リアル離島暮らしというコラムにて、若い女性の視点から見た離島暮らしについて、定期的に更新しておられ、毎回楽しみに拝読している。

 この3名は、皆、東京から移住してきた30代の方々で、ネットでやりとりできる知的生産物・サービスを販売しているという共通点がある。首都圏から徳島県神山町の中山間地域にベンチャー企業を呼びこんでいるグリーンバレー大南さんの取り組みや、高知に移住した著名ブロガーのイケダハヤト氏と同様の動きが、ここ瀬戸内町でも起きており、「これが時代の流れなのだなぁ」と、加計呂麻島で改めて感じた。

 移住者の多くは、amazonや「タイヨー」という鹿児島のスーパーのネット通販で買い物をしている。また、周囲の方々が野菜や海産物を分けてくれ、家賃も安いので、生活費はあまりかからないそうだ。教育や医療にも特に不安・不便を感じることは無いとのこと。こうした、地理的制約に縛られない仕事や暮らし方をしている尖った人たちが、加計呂麻島の海や自然、そこでのライフスタイルに憧れ、移住してきている。


●観光客・移住者受け入れの改善余地はまだまだある
 このように、民間の需要拡大が牽引する形で観光振興が図られ、移住者が増加しているが、自治体、観光協会など地元の受け皿に関しては、不慮の事態の影響もあり、体制整備や施策充実の余地がある。

 そもそも町内の宿泊施設の収容人員が約570人(平成25年度末)と宿泊客受入のキャパシティが限定されており、ハイクラスな宿泊施設や、地域の生活文化を感じることができる体験型の民泊がなく、宿泊施設の選択肢が少ない。さらには、「地域の商店は日曜が休みのところが多い」「家族経営の個店が多く、電話しても不在」「情報がネットにあまり掲載されていない」といった声は調査の中でもよく聞かれた。空き家に関しても、空き家バンクに登録されているのはほんの一部で、全く、あるいは年に1~2回しか利用されていないが顕在化していない空き家がまだまだ存在するという話を聞く。
このように、まだまだおもてなし向上、受け入れ拡大の余地は大きく、それが逆に今後の可能性を感じる部分でもある。


●追い風をどう活かすか、今後4年間が勝負
 国が地方創生を掲げ、観光立国を成長戦略の柱の一つとし、円安で海外から多くの観光客が訪れている今、観光振興に取り組む自治体にとって追い風が吹いている。だが、こうした追い風はいつまで続くか分からない。改正奄美群島振興開発特別措置法の予算措置の期限は平成31年3月末までであり、その後の国からの支援に関しては不透明である。スカイマークが経営破綻し、撤退を決めた石垣島、宮古島の状況を考えると、外部企業が地域経済の命運を握る構造は不安定とも言える。加えて、瀬戸内町の人口減少・少子高齢化は今後もハイペースで進展すると予測され、町の内需はますます縮小する。この追い風の状況下に、如何に地域として新たな投資をして魅力を創出するか、あるいは弱点を補強するか、31年3月末までの4年間は、町民や町内企業・団体、行政の総力をあげた取り組みが問われる大事な時期と思われる。

瀬戸内町の人口・高齢化率の推移(国勢調査・国立社会保障・人口問題研究所)

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 何度も繰り返すが、瀬戸内町、加計呂麻島の地域資源は独特で、素晴らしい。ぜひ、地域の関係者が、互いの損得や事業領域の縄張りを飛び越え、開発と保護のバランスを取りながら、この素晴らしい資源を後世に引き継いでいただきたいと、いちファンとして切に願う。

 本調査・研修事業では講演会が3回開催されており、最終回の佐賀県の森本登志男CIOの講演会の前に、調査結果の結果報告をさせていただいた。その後の懇親会でも地元の方々と大変盛り上がり、SNS等でつながり、友人になったと勝手に思っている。

 せとうちポイント会の事務局を務める藤井さん(お茶の不二園・店主)を中心とした古仁屋・加計呂麻の方々は、これまでずっと地元で生活している方や、一度東京など外に出られて戻られた方、Iターンで他の地域から移住してきた方など、様々な年齢、性別、職業、感性の方々が集っており、素敵なチームが出来ている。瀬戸内町・奄美大島の今後の展開に注目しているし、仕事で関わらせていただき、応援したい地域がまたひとつ増えたことをありがたく思う。

 なお、本調査結果は、地元奄美の複数メディアでも取り上げられた。奄美の方々が、今後事業や地域活動に取り組まれる上での参考にしていただけると、とても嬉しい。

4月15日 南海日日新聞一面(せとうちポイント会HPより)
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奄美新聞の記事「来島・移住へ課題把握」

 昨年末に足底筋膜炎→鵞足炎という具合に左足を痛めてしまい、年が明けてから全く走れていない。さらに、ここ数日インフルエンザでダウンしていたため、2月1日の別大マラソンはキャンセル予定orz そんな状況ですが、昨年11月、地元福岡市での初の市民参加型フルマラソンとなる、「福岡マラソン2014」に参加したので備忘録。



●走り出した経緯と記録の推移
 3年半前の4月、友人の透ちゃんから「6月のリレーマラソンに出ませんか」とお誘いいただき、ジョギングを始めた。当時の体重は84kg。走り出すと体が重い重い...。キロ7分ペースで2~3km走るのがやっと。

 以降、週に2~3回、早朝に走ることを日課にしたところ、体重がグングン減り、走力の成長を実感できるようになった。元来、体を動かすことが好きなためにすっかりハマってしまい、ジョギングを始めて2年後の2013年4月、初めてのフルマラソンとなるさが桜マラソンに挑戦。タイムは3時間52分で、サブフォーを達成。

 同年、2回目となる青島太平洋マラソン(宮崎市)では3時間18分、年が明けて2014年4月のさが桜マラソンで3時間9分と、順調にタイムを縮めることができた。そして、運良く当選した福岡マラソン2014の目標は3時間切り、いわゆる「サブスリー」の達成。



●サブスリー達成に向けてライフスタイルを少しずつ変えた
 市民ランナーがフルマラソンで3時間を切ることは結構難しく、サブスリーを達成した人の割合は、東京マラソンに出走した人のうち2%と、なかなかの狭き門。別に自分がマラソンを速く走ることで世の中が良くなるわけじゃないが、人生でサブスリーを達成するチャンスはそうないと思われるので、達成できるまで頑張ってみようと決意した。そこでライフスタイルを以下のように変えた。


①GPSウォッチ×SNSでタイムやコースをシェア
 3年半前、初めてのジョグの数日前に首藤さんからランキーパーの存在を教えてもらい、早速ジョグ初日から今日まで活用している。ランキーパーは、携帯端末で記録したタイムやコースを時系列にアップし、友人にシェアすることができるアプリ。当初はiPhoneを持って走っていたが、重いし落とすし誤差が大きいので、SUUNTOのGPSウォッチを導入した。ランキーパー上で友人が努力している姿を見たり、励ましのコメントをいただいたり、タイムや心拍数、体重の推移を見て成長を実感できたり。GPSウォッチ×ランキーパーは、自分がここまでランを継続できた最大の要因だと思う。


②糖質を減らし、タンパク質多めの食事を取る
 昼食はできるだけ自分で弁当を作り、豆腐と納豆、サラダを基本とした食事とし、夜も糖質控えめ、タンパク質多めの食事とした。ただ、極端な糖質制限ではなく、たまにはラーメンやうどんなども楽しみ、適度にするのが長続きする秘訣かな。ジョギングを始めて体重は84kg→64kg、体脂肪率は27%→7%に。高校卒業時よりも4kg軽くなった。


③走って通退勤
 トレラン用のリュックにPCや着替えを詰め込み、往復10㎞走って帰る。4月以降は自分が保育園の送り迎えを担当したので、行きは普段着で、地下鉄や自転車で通勤し、帰宅時のみランニングウェアに着替えて走って帰ることが多かった。

  < 装備 >
バッグパック : グレゴリー ミウォック18
シューズ : ナイキ ルナスパイダーLT+2 又はビブラム ファイブフィンガーズKSO


④日曜は仕事がなければ朝食前に30㎞走る
 朝食前に有酸素運動をすると脂肪を燃やしやすいだろうと思って始めたが、後から専門家の本などを読むとこれが正解だったよう。最初は足や腕が筋肉痛になったが、面白いもので3回目位から身体は慣れ、走った後でも普段通りの生活を送れるようになった。ただ、家族によると、ロング走をした日は若干短気になる模様。


⑤水曜と土曜はスピードを上げて走り、心肺を鍛える
 練習方法はこれまで自己流だったが、五輪金メダリストの高橋尚子選手らを育てた小出義男監督の著作「30キロ過ぎで一番速く走るマラソン サブ4・サブ3を達成する練習法」に書いてある3ヶ月間のサブスリー達成用練習メニューを実行した。具体的には水曜は帰宅時にキロ4分で走ってレースペースを体に染み込ませる、土曜は短距離でも全力で走って限界スピードを上げる日というように、心肺を追い込む日を設け、練習にメリハリを付けた。

 小出監督の練習メニューは3か月間分あるのだが、当然仕事や家庭の事情でそれを毎日実行することは困難だ。しかし、泊まりの出張先には靴を持って行きご当地を走る、週末は家族が起床する前にランニングを済ませるなどやりくりしながら、ほぼ達成できた。

  < 一週間の練習メニューの例 >
月曜:休み
火曜:帰宅ラン(40分ジョグ)
水曜:帰宅ランの途中に大濠公園に立ち寄って15kmペース走(キロ4:00~4:05ペース)
木曜:帰宅ラン(40分ジョグ)
金曜:帰宅ラン(40分ジョグ)
土曜:20分ジョグ+インターバル1km×5本
日曜:35kmビルドアップ走(最後全力)



●レースの準備は万端
 よく、マラソンはレースを走る前に勝負がついていると言う。これは全く同感で、自分は小出監督のトレーニングメニューをやり遂げたので、天候が良ければおそらくサブスリーを達成できるだろうという自信はあった。

 そして前日の夕食は大盛りのパスタを平らげて体のガソリンとなるグリコーゲンを蓄え、レースのペース配分や補給のタイミングなどのプランを練り、ウェアやシューズをリュックに詰めて、準備万端。

  < 装備 >
ウェア : パタゴニア エアフロータンク(上)、ストライダーpro(下)
サポーター : C3fit パフォーマンスゲイター(ふくらはぎ)
ソックス : C3fit 5フィンガーアーチサポートソックス
ウォッチ : SUUNTO AMBIT
シューズ : ニューバランス RC1300赤
補給(30分前) : アミノバイタルパーフェクトエネルギー
補給(15km地点) : アミノバイタルプロ顆粒
補給(20km地点) : SAVASピットインエネルギージェル(ウメ)



●天神がランナーであふれていた
 しかし、当日は残念ながら雨。。。朝食におはぎ3つと梅干1粒を食べ、糖質とクエン酸を補給し、6時過ぎの地下鉄に乗ると、車内にはたくさんのランナーが乗っていた。そして地下鉄天神駅に着くと、ランナーが天神地下街を走ってアップしていてビックリ。

 ソラリアプラザ1階や警固公園周辺が着替え場やトイレといったランナー専用スペースになっていたり、いつも歩行者で賑わう交差点に荷物運搬用のトラックがずらりと並んでいたりと、普段見慣れた光景とは一変。街中にランナーがあふれていて、テンションが徐々に上がった。

いつもは待ち合わせや休憩のスペースが、ランナーの着替えの場に
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スタート地点の福岡市天神地区からゴール地点の糸島市役所志摩庁舎へ、ランナーの荷物を配送するトラック
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●福岡市の目抜き通り、渡辺通・天神交差点からスタート
 雨はスタート直前に上がり、午前8時20分に福岡市・天神のど真ん中、渡辺通・天神交差点付近をスタート!渡辺通りを通過した後は、海沿いの道を西に向かう。スタートして5㎞、福岡ヤフオク!ドーム周辺で、応援に来てくれていた家族を見つけ、立ち止まって子どもたちの頬っぺを触って元気をチャージ。西区の今宿地区では、地元漁協の皆さんが今津湾に船を浮かべ、汽笛やラッパを吹いて応援してくれていた。船から応援してもらったのは初めてだったので、とても印象的で、精一杯手を振って御礼をした。

 西区を過ぎて糸島市に入ると、スタート当初の都市型マラソンの雰囲気とは随分違い、漁村の街並みや田園景観の中を走る。このあたりは、近所のおばあちゃんたちの農作業の手を休めての応援もあり、まさにローカルマラソンの雰囲気。15kmまではキロ4分20~25秒ペースで抑え気味に走った。



●40km過ぎで3時間のペースランナーを抜く!ほとんど泣きそうにw
 折り返し地点の九州大学伊都キャンパス付近と、30㎞地点の二見ヶ浦手前は高低差数十メートル登る。特に二見ヶ浦手前は今回のコースで最もきついエリアだが、久住出張や加計呂麻島出張の朝に走った山道や激しいアップダウンを思い出したりしながら、何とかペースを崩さずクリアできた。15キロから30キロまでは4分15秒ペースに少し加速。

 その後、小出監督の教え通りに30㎞を過ぎてからギアを一段上げ、毎週水曜日の帰宅ランと同様、4分ペースで走った。40㎞地点で3時間のペースランナーを抜いたときは、今まで積み重ねたトレーニングのことを思い出し、何とも言えないうれしさがこみ上げ、胸が熱くなりながら小さくガッツポーズ!41㎞、42㎞はさらにペースアップしてキロ3分50秒ペースで走ることができた。結果、2時間58分35秒でゴール、やったー、サブスリー!ゴール後は何とも言えない、じんわりとした達成感を味わうことができた。

サブスリー達成証拠写真
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●トレーニングからレース中まで、計画通りに進めることができたことに満足
 スタートからゴールまで常に気持ちは前向きで、沿道に応援しに来てくれたボランティアの方々と会話したり、ハイタッチをしながら、とても楽しく走れた。何より嬉しかったのは、計画通りに3ヶ月のトレーニングができ、計画的に体脂肪を落とすことができ、当日も5㎞ごとのラップが事前に立てたレースプランと数秒しか違わないペースで走ることができたこと。これは、計画づくりを仕事としている者として、とても嬉しかった。また、天気は曇りで最高気温18度、風も弱く、快適なコンディションだったことも幸運だった。

 第一回福岡マラソン・フルマラソンの部の参加者は1万173人で、男性が78%、女性が22%。約3割が初挑戦だったそうだ。自分は103位の成績を残すことができた。



●今後も通勤ランを継続、旅先・出張先でもなるべく走る!そしてレース企画やボランティア等でも関わっていきたい
 これ以上記録を追究することは、体力的にも、時間的にもなかなか難しいかもしれないが、今後もぼちぼちと各地のレースに参加しようと思う。そして旅に出るときはいつもジョギングシューズを持って行こうと思う。特に出張先のロードや野山を走ることは、当地の自然・街並みを体感でき、仕事と趣味を兼ねる。いま、新たなレースの企画やマラソン大会の経済波及効果算定など、ラン関連のご相談もちょくちょくいただいている。こうしたロードやトレイルのコース検討や、大会運営にも関わることができればと思う。

 最後になりましたが、走るきっかけやモチベーションをいただき、サブスリー祝勝会まで開催していただいたQBSランクラブの皆様。朝っぱらから汗だくのウェアを洗って干したり、汗だくのまま仕事をする私を横目で見ながら放っておいてくれた職場の皆様。有り難うございました!最後の最後に、いつも応援してくれる家族に感謝♪


●炭鉱の隆盛・衰退と運命をともにした大牟田松屋は、大牟田のシンボル的存在の一つだった
 大牟田市は江戸時代末期より石炭化学工業で栄え、昭和30年代には人口が20万人を超えた。当時、石炭採掘という危険な仕事に従事した炭鉱マンたちが「宵越しの金は持たない」と気前良くお金を使い、独自の食文化が形成されるとともに、中心市街地が拡大し、大規模商業施設が次々に立地した。

 福岡の松屋呉服店が大牟田市に進出したのは炭鉱最盛期を迎える前の昭和12年のこと。売り場面積は約1万㎡、鉄筋コンクリートの6階建て。当時の市内には鉄筋コンクリートの建物や、エレベーターを備えている施設が少なく、市民にとって「大牟田松屋に行ってエレベーターに乗ってきた」という体験は一種のステータスだったそうだ。しかし、エネルギーの主役の座が石炭から石油に代わり、三池鉱の縮小に伴う人口減少や、福岡・熊本都市圏への顧客流出等で、大牟田松屋の売上は1981年をピークに減少、1992年以降は赤字が続き、ついに2004年7月2日に閉店、2007年には建物が解体された。

 私は大牟田松屋に行ったことは無いが、大牟田や熊本県北、筑後地域の方々に思い出を聞くと、「子どもの頃は松屋に行くのが楽しみでたまらなかった」「年に数回連れて行ってもらう、特別な場だった」など、様々な思い出を聞くことができ、周辺の住民にとってハレの場として愛されてきた存在だったのだなと感じる。


●洋風かつ丼は、閉店・解体された旧大牟田松屋レストランの人気メニューだった
 大牟田松屋の6階には、有明海が見渡せる屋上遊園地やファミリー食堂があり、多くの家族連れで賑わったそうだ。この食堂の名物メニューが「洋風かつ丼」である。開店とほぼ同時に開発されたメニューとされ、値段は650円。楕円形の皿に盛られたごはんの上にロースカツが乗っていて、さらにその上から鶏やさば節等でとった出汁と地元産の醤油、ウスターソースで味付けされたとろみのある「あん」がかけられる。傍らにはキュウリやトマト、スパゲティ、グリーンピースがトッピングされていた。

 この洋風かつ丼は大牟田市民にとても愛されており、「毎月数回食べていた」「大牟田松屋といえば洋風かつ丼」という方も多い。親に大牟田松屋に連れて行ってもらい、玩具や洋服を買ってもらった後に、洋風かつ丼を食べる。また、たまに自分へのご褒美として洋風かつ丼を食べる。そんな、ちょっとした非日常感、高級感のある素敵な思い出とともに記憶に残っているような存在だ。

 しかし、大牟田松屋の閉店とともに食堂も閉鎖された。一時期、食堂の元従業員が経営する飲食店で「洋風かつ丼」というメニューが出されていたが、後継者不足等で閉店したそうだ。それ以来、提供しているお店が無くなったために寂しく思う市民は多く、コアなファンを中心に、その復活が望まれていた。


●自称「大牟田市内屈指の洋風かつ丼好き」が集り、オリジナルメニューを復活させた
 こうした洋風かつ丼ファンの代表格が、市内できのこの栽培・販売事業を営む大塚力久さんだ。大塚さんは幼少時から洋風かつ丼が大好物で、大牟田松屋閉店後も独自にレシピの復刻に挑み、奥様によると少なくとも百数十回は試作を繰り返したそうだ。「洋風かつ丼を食べることができるお店を作りたい」という思いからの挑戦であった。

 大塚さんの周囲には、商工会議所の山科敏彦さんをはじめとして、負けず劣らずの洋風かつ丼好きが集い、4〜5年前から、レシピの復活に向けた話し合いを開始していた。

 そして試行錯誤の末の平成25年、ついに大塚さんが「再現できた!!」と納得がいく洋風かつ丼のレシピが出来上がり、これを機に復活に向けた動きが加速。8月には「旧松屋デパートの洋風かつ丼復活プロジェクト研究会」が組織され、試食会が開催された。研究会のメンバーは商工会議所の副会頭や食品、サービス業部会長の他、地元の醤油メーカーや洋風かつ丼愛好家、大牟田松屋の元社長と、6階食堂の元料理長といった方々である。私も大牟田ブランド化の専門委員を拝命している関係で、この研究会にも参加し、事業計画づくりのお手伝いさせていただくことになった。

 松屋の元従業員の方々10数名が参加した試食会等、10数回にわたる試作を経てレシピや洋風かつ丼の定義が確定、メニューの正式名称は「おおむた洋風かつ丼」となった。市内の企業、個人による「大牟田洋風かつ丼応援隊」の組織化や、老人介護施設での食事、学校給食での提供に向けた調整が進められるなど、市民による支援の動きも広まっている。また、市内イベントでハーフサイズ300食を、300円で限定販売したところ、約30分で完売してしまうなど、人気や注目度は高い。このオリジナルレシピは公開され、継承を希望した大牟田市内の2店舗で7月2日から提供される。他に、市内数十店舗で、できるだけ上記定義を守りながら、店舗毎の独自のアレンジが加えられたメニューとして提供される予定だ。


●ご当地グルメづくりはまちづくり
 この「洋風かつ丼復活プロジェクト」は、ご当地グルメを復活させ、飲食店の売上を拡大する取り組みだけに留まらない。地域ブランドづくりや特産品開発、ご当地グルメづくりにおいて、地元住民へのブランド価値の浸透・共有は、とても大事な要素だ。地元ファンは日常的な顧客であり、熱心な宣伝隊である。まずは大牟田市民が、洋風かつ丼に親しみ、愛着を持ち、この復活の動きをともに盛り上げ、楽しむことが重要で、市外への発信よりも、市内での仲間づくりや浸透に力を注ぐことが今は大事である。

 また、洋風かつ丼の復活プロジェクトは、かつ丼を通して大牟田市民が記憶を思い出し、語り合うことで、地域への愛着を感じたり、多世代の協働を促進していく「まちづくり」の一環だ。そして、その盛り上がりが少しずつ様々なメディア、クチコミで拡散されることで、大牟田の認知を広げ、まちに来るきっかけになる。なお現時点で、新聞に20回程度、テレビ8番組で取り上げられ、大牟田市外への情報発信機会も増加している。

 加えて、美味しいことは大前提として、「できるだけご当地に、昔からあるものを素材として取り上げること」と、「プロジェクトを推進していく地元リーダーが存在すること」が重要と思う。今回のプロジェクトでは、大塚リーダーをはじめとしたコアメンバーが、市内の様々な企業、団体に所属し、洋風かつ丼への郷愁を心に抱く「洋風かつ丼ファン」達を次々に巻き込んでいる。この情熱、巻き込み力には本当に感心する。また、大塚さんの回りに集まるメンバーは、建築関係やファッション関係等、自分のビジネスとは直接関係がない方々であり、まちの活性化、にぎわいづくりを目的とした活動である。こうしたまちのための活動であるということも、徐々に活動が広がりを見せ、メディア等で取り上げられている要因のように思う。


●大牟田のソウルフードとして愛され続けるメニューになりますように!
 今後は、大牟田松屋閉店からちょうど10年となる平成26年7月2日にオリジナルレシピの復活イベントが開催され、以降、洋風かつ丼のマップづくり、市民応援隊の結成や学校給食、老人介護施設での提供等が検討されている。ゆくゆくは、若年層にも定着し、大牟田のソウルフードとして受け継がれていくものとなってほしいと願っている。

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 今お手伝いしている仕事の一環で、大分県竹田市、久住山麓にある九州大学高原農業実習場を訪問することになった。牧場に伺ったのは2月17日。全国的に大雪が降っていた時期であった。久住もやはり雪が深く、立ち往生している車を何台も見かけながら山路を登った。この高原農業実習場のトップを務めるのが後藤貴文准教授である。後藤先生が考える畜産モデルは、実に面白いコンセプトなのでご紹介したい。


●様々な問題を抱える畜産の現状
 現在の畜産は、1頭の和牛を生産するために4~5トンの輸入穀物を与えている。そのため生産者は輸入飼料相場の高騰に頭を悩ませ、困難な経営状況にある。また、外国産のため日本の土壌には循環できない過剰糞尿の処理という問題がある。さらにはBSE等の食の安全問題、霜降り志向の流通、繁殖・肥育・と畜・卸・小売など分断された高コストの流通構造、集約的飼養による動物福祉に反する飼養環境等、多くの問題を抱えている。

 牛は本来、草などの植物資源をタンパク質に変える機能を持つ動物であり、日本は草が育ちやすい湿潤な気候である。また、人口減少・農家の高齢化に伴う耕作放棄地の増加など、牛の放牧が可能な環境は中山間地を中心に拡大している。

 そこで後藤先生は、日本の草で美味しい牛を育てるための研究を行っている。その研究は大きく3つに分けることができる。


●一つ目「太りやすい体質づくり」
 通常、草のみで肥育すると、まったくの赤身となり現在の日本の消費者が好む肉質とはならない。しかし、それを可能にするための技術が「代謝生理的インプリンティング」というものだ。呼び名は難しいが、一言で言えば「刷り込み」である。

 胎児期や初期成長期に、適切な栄養環境等を促せば、その後の代謝生理的機能が制御される効果について第二次大戦中から行われてきた。後藤先生はその研究成果を牛に応用し、牛の初期成長期に特殊なミルクや飼料を一定期間与えることで、太りやすい体質とすることに成功した。

インプリンティングされている最中の子牛。子牛は畜舎で育てる
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哺乳ロボを使い、ミルクを通常の3倍量与える
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●二つ目「高度放牧管理」
 前述の飼育方法で10ヶ月齢まで育てた太りやすい牛を、耕作放棄地や牧草地に放ち、体表や体内に埋め込んだセンサー等で牛の位置や状態(発情期、出産の有無など)を把握する。また、情報通信関連企業との共同研究により、スマートフォンやタブレットのアプリケーション上で、牛を見て、呼び寄せ、餌をやるシステムを構築した。畜産家は毎日牛の世話をしなければならないため、休みがないと言われる。しかし、この放牧管理技術が確立・普及すれば、旅行に行った先からも牛の面倒を見ることが出来るというわけだ。

タブレットを使って動画で牛の様子を確認、呼び寄せ、餌を与えることができる
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●三つ目「消費者への直販」
 ふつう、国内で肉牛を飼っている農家は繁殖農家か肥育農家のどちらかだ。繁殖農家は、効率的に牛を妊娠させ、良い子牛を育てる。そして肥育農家は子牛を繁殖農家から買い、畜舎で集約的に牛を育て、卸業者や小売業者に販売する。その間、各段階で中間マージンが発生するため、たとえば繁殖農家の売上は小売価格と比較して4から5分の1程度となる。生産者が販売まで手がける、所謂六次産業化ができれば、農家の手取りは増え、畜産経営は楽になる。

 そこで後藤先生は、マーケティングコンサルタント会社との共同研究により、赤身肉を好むマーケットの開拓や、ステーキや加工品の試作・販売を行っている。食味の調査も行っており、QBeefは草のみで育てた牛よりも脂肪分が多く、穀物で肥育した牛よりもコレステロール値が低く、必須アミノ酸、うまみ成分が多いという結果が出たそうだ。

QBeefの試食会で出されたステーキ
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●QBeefは脂身がサラッとしていてしつこくない
 このように、子牛の初期成長期にインプリンティングを行い、太りやすい子牛を国内の草地で、ICTを活用して放牧管理する、そして霜降りよりも健康的な牛肉を生産者が直接消費者に販売する。こうした新たな牛肉のブランドや畜産のビジネスモデルが確立できれば、冒頭に挙げたような各種問題が解決に向かい、国土が有効活用され、農家の手取りが増え、国内の食糧自給率が改善される。何とも夢のある話だと思う。ただし、現在は頭数が少なく流通量が限られており、ステーキ肉が100g1,000円と赤身肉にしては高価といった課題がある。

 別の機会にQBeefの肉を食べてみたが、肉質は完全赤身のギシギシとした固い肉ではなく、ほどよく柔らかかった。そして脂身がサラッとしていてしつこくない。私は三度目のフルマラソンへの挑戦を4月に控え、体重管理の為できるだけ炭水化物を減らし、タンパク質を多めに取る食生活をしている。私はまさにQBeefがターゲットとする客層なのかも。量産化されるのはもう少し先のことになりそうだが、畜産のあり方を変え、マーケットを作る可能性があるこのQBeef。通信販売でも入手できるので、気になる方は買ってみられてはいかがでしょうか。

 昨年の9月6~8日の3日間、特に20~30代の女性に人気のあるブロガーを佐賀県にお招きし、佐賀の観光情報をソーシャルメディア上に拡散するためのツアー「ソーシャルツアー@SAGA」を企画・実行した。私もこのツアーの主催団体であるソーシャルツアー@SAGA実行委員会メンバーとして、ツアー企画や同行、効果の分析や報告書の取りまとめを行ったので、今回はその結果についてご報告したい。

 なお、今回のツアーは、東京から伊藤春香(はあちゅう)さん、渡辺由布子さん、関西から村上萌さんをお招きし、佐賀大学在学生の江崎ひとみさんが案内するという形で実行した。


●観光情報発信の効果
 9月6日は佐賀市、7日は唐津市、8日は鹿島市、武雄市を中心に回った。この3日間のツアー期間中、ブロガーは佐賀に関するツイートを103回発信し、それに対して計444回の反応(公式・非公式リツイート、メンションの合計数)が寄せられた。特定のキーワードについては、ツアー前後でそのキーワードを含むツイートの数がどう変化するか、モニタリングを行ったところ、例えば「佐賀牛」というワードを含むツイートは、ツアー前の9月4日頃は一日20~40件であったのが、ブロガーの方々の発信をきっかけに、ツアー終了後の13日には163件まで伸びた。また、6~8日の期間中、ブロガーによって書かれた佐賀関連のブログの総ページビューは計約20万であり、その後もこれらの記事はネット上で閲覧され続けている。

「スパークロール」というサービスを利用し、「佐賀牛」を含むツイートを収集
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●これからに向けて、改善すべきポイント
 佐賀牛、唐津焼、呼子のイカ、祐徳稲荷神社、有明海の干潟、武雄市図書館についてはブログやツイッター等で多く取り上げられたが、唐津城、名護屋城等の歴史・文化施設や、特産品開発・販促の取り組みについてはブロガーの方々による発信頻度が少なく、事務局の期待ほどPRができなかった。

 こうした歴史的、文化的な要素に関しては、その文化的、情緒的な価値への理解は、地元住民でさえ時間がかかることであるため、美容、健康、食など、わかりやすくソーシャルメディア上で映える要素でまずは佐賀県に関心を持ってもらい、そこを入り口として佐賀県の深さに触れる場づくりを企画設計する必要がある。また、クレームの可能性を周知しておくことや、問合せ窓口の明記をしていなかった点は反省材料であった。


●ツアー終了後、個別の案件につながっている
 ツアー中、読んだ方々から「佐賀をPRしてくれてありがとう」「佐賀に行ってみたくなった」「九州に住んでいるのに佐賀のことを全然知らなかった」等の感想が寄せられた。それらのコメントを、テキストマイニングによりポジティブネガティブ判定をしたところ、約9割はポジティブな反応であった。

 また、今回のツアーをきっかけとして、東京汐留のレストランにおいての佐賀県の食材を使った料理をブロガーがPRする企画や、ブロガーの方々の個人的なサロンにおける特産品のPR、某市の商品パッケージデザイン案件などのコラボレーション・新たな商品開発の動きに繋がっている。

 今回のツアーは、複数の観光協会や自治体、企業から数十万円の協賛金を得て実施された。今後、実際にブログを見た観光客が何名増加したのか、あるいは通販の売り上げがいくら向上したのかなど、消費への効果について、事業者の方々や行政の担当者にヒアリングを行う必要があるが、当初目的とした「ソーシャルメディアによる情報発信」が、結果として地方紙3紙に7回取り上げられ、一定の発信効果はあった。こうしたインターネット、ソーシャルメディアを活用した地域情報の発信と効果測定について、今後もアンテナを張り勉強していきたいと考えている。

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 国際リニアコライダー(ILC)計画とは、世界最大の直線型高エネルギー粒子加速器と、そこに付随する基礎科学の大規模な世界研究所を誘致しようという計画である。この加速器は、全長約30km~50kmの地下トンネルであり、その中で電子と陽電子を光速近くにまで加速して正面衝突させ、宇宙誕生直後の状態を再現することで、物質の根源、宇宙誕生の謎に迫る。当社が福岡県・佐賀県から委託を受けて、リニアコライダーが地域に与えるインパクトと、これを活用した九州北部の国際研究都市のあり方を提案したということは、以前書いた

 それから1年が経とうかという3月、中学・高校の一つ下の後輩の岩木君から久しぶりに電話がかかってきて、食事会に誘われた。そこには学生時代からの知り合いの榎本君も来ていて、ILCの誘致活動を盛り上げ、九州の市民レベルの熱意を数として示すために署名活動を始めないか、という話であった。私もILC誘致のため、何かできることをしたい、という思いがあったので、二つ返事で共に活動していくこととした。

 その後、身近な友人達数名に声をかけ、「九州へのILC誘致を実現する会」が立ち上がった。メンバーは福岡、佐賀の20~30代の7名。仕事はイベントプロデュース、デザイン、通信・OA機器関連、広告代理店など様々。メンバーの中で最も実業とILCとの関わりがあったのが私で、それ以外は皆、「九州の未来のために」「夢があるプロジェクトだから」など、個人的な思いで集まった面々であった。

 署名活動の目的は「宇宙の始まりとされるビックバンを再現し、宇宙誕生の謎に迫る国際リニアコライダー(ILC)が、九州・脊振地域に設置されること」とし、活動期限は7月末まで。署名数の目標は10万人。集めた署名はリニアコライダー国際研究所建設推進議員連盟会長の河村建夫衆議院議員に届けるということでスタートした。そして3月28日、まず署名サイトと、facebooktwitterなどのソーシャルメディアアカウントを立ち上げた。予算は全くなく、マンパワーにも限りがあるため、HPはzero-tenのスタッフが立ち上げ、そのURLを各個人のソーシャルメディアアカウントを使って拡散していった。

 当初は「ILC誘致にご協力を」と呼びかけても、「ん?ILCって何ね?」「リニアモーターカーとどう違うと?」などと返されたり、ILCを知っている人は100人中2~3人かな、という感触で、署名数も伸びずに苦戦したが、5月に入ってから新聞やテレビでILC関連のニュースを目にする機会も増え、「ああ、新聞で見たよ」など、知名度が上がっていると実感することが多くなった。それに伴い様々な会合やイベントなどで活動をPRさせていただく機会を多くいただけるようになった。私たちの会のメンバーは様々な資料を読み込み、また客観的なデータの数々を共有し、「九州・脊振山地の方が北上山地よりも研究に適した生活環境であり、日本、世界の物理学の発展ためには、ILCは九州に立地した方が良い」と思い込んでいるので、プレゼンの場では言葉に熱い思いを乗せて説明することができたと思う。

 こうした場を重ねることで、共感し、支援していただける企業・団体も増えてきた。例えば、アビスパ福岡は、ホーム試合の観客全員に署名チラシを配ってくれ、スタジアムの中外で署名活動をする機会を2回いただいた。また、九州の経営者たちで組織される「博多21の会」は、HPに署名サイトへのリンクを貼っていただき、「博多21の会」主催の街頭署名も行われた。知人に署名用紙入りの手紙を何十通も送付してくれた方や、役所の中で署名用紙を回覧し、2000人の署名を集めた自治体、有志で約700人を集めた大学生、街頭署名に参加してくれた方々など、ここでは紙幅の関係で個別の企業・団体・個人名を挙げることは難しいが、本当に多くの方々に、署名活動に協力をいただいた。

いただいた35万の署名

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 6月に入ってからは九州経済連合会の篤いご支援をいただき、九州の金融・インフラ・建設などの中核企業に本格的に署名活動に参画してもらったことで、一気に加速。7月3日には上京し、河村建夫ILC建設推進議連会長に署名17万人を報告。

自民党本部に署名用紙を持ち込む 色んな意味で重かったです

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 そして8月10日は、7月末で最終集計した355,467人の署名を、ILC問題九州国会議員連絡会の代表世話人である原田衆院議員、今村衆院議員はじめとする福岡・佐賀選出の国会議員10名に引き渡した。また、有川九州大学総長、松尾九州経済連合会名誉会長、小川福岡県知事をはじめとするILCアジア-九州推進会議の方々にも立ち会っていただいた。


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 素粒子物理学の研究者で組織されるILC構想立地評価会議は8月23日に、北上山地がILCの立地に適しているという評価結果を発表した。この発表は私たちにとっては不本意なものであるが、私たちが街頭署名や、様々な勉強会や会合でILCの誘致活動についてお話する時間をいただいたり、いくつかのメディアでも取り上げていただく中で、ILCの理解促進・機運の盛り上げには微力ながら貢献できたかと思う。まだ政府としてはILCの誘致を宣言しておらず、政府として候補地をどこにするかも決定した訳ではない。また、立地評価会議の項目別の採点結果を見て脊振山地が優っている項目はほとんど無い、評価プロセスが一切ブラックボックスとなっており議論の経過が不透明であるなど、立地評価会議に対してお話をお聞きしたい点がいくつかある。現在は、この事実関係を確認中であり、35万人の声を預かっている立場として、政府決定までは誘致活動を継続していこうという話をしている。

 最後に、今回の活動では、本当に多くの友人知人、諸先輩方から励ましのお言葉やご協力をいただきました。個人で署名を集めていただいた皆様や、サポーター企業にご登録いただいた皆様にも、本来は直接御礼を申し上げるべきですが、まずはこの場を借りて報告させていただくとともに、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 6月5、6日の二日間、福岡市で開催された「アドテック九州」というイベントに参加した。アドテックとは、デジタルマーケティング、インターネット広告技術の見本市で、これまでロンドン、ニューヨーク、シンガポール、東京など世界8都市で開催され、2012年の東京会場には、二日間で2万人以上の来場があったというビッグイベントである。アドテック九州は、その初の地方開催版として開催された。

 事の次第は3月下旬、知人の田中さんから、アドテック東京の主宰者であるdmgイベンツジャパンの武富社長をご紹介いただき、お食事をご一緒したことから始まった。武富さんは「アドテックを九州で開催するからには、九州の物産紹介など、地域性を感じることができるブースを作りたい」という考えを持っておられ、その意向を受けて田中さんが私を紹介してくれたのだった。アドテックで物産ブースを設置するのは初めてらしく、どうも「九州各地の物産関係者にネットワークがある会社」ということで声がかかったようだが、そもそも、こういったIT系のイベント・展示会に行くのも初めて、物産コーナーを運営するのも初めて。安請け合いしても大丈夫なのだろうか、と一瞬悩んだが、何事も経験ということで、お受けすることにした。

 それから、物産ブースのコンセプトをどうしようかと悩んだ。運営面では、他にもっと上手くできる会社はいくらでもあるだろうが、弊社ならでは、というウリをどうつくるか。そこで思いついたのが、九州・地域の活性化や社会問題の解決など、単にモノを作る・売るだけではなく、広いビジョン・理念を持って活動している企業・団体をご紹介したいということである。 程度の問題はあるにしろ、どこの企業・団体でも情報発信や販路開拓には少なからず課題が存在していると思うが、素晴らしい理念を持った九州の企業・団体と、世界の最先端のマーケティング技術が出会った際に、どのような化学反応が起こるのか見てみたいし、少しでもお役に立てればと思った次第である。

 そこで、私からは下表の企業・団体にお声かけをした。

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 このほか、田中さんからご紹介いただいた「ギャラリーふじやま」と「虹の松原ホテル」が、それぞれ、有田焼のブランド「青花」と「からつスムージー」を販売した。

 アドテック九州には、facebookのアジア統括責任者やamazonジャパンの社長、武雄市の樋渡市長、堀江貴文さんなどが登場し、当初3,000人の来場の予想に対して約3,500人が参加したそうで、イベントとしては成功、来年の開催も決定したそうだ。アドテック市も、九州の物産紹介コーナーとしての役割を果たすことができ、facebook等のSNS上でも、「鍋島大吟醸が売られている」と数名の発信力のある方々にPRしていただいた。アドテック九州というイベント自体や主催者であるdmgイベンツに対しては一定の貢献ができたと感じるが、出展者の皆様に対しては、売上という意味では期待を恐らく裏切り、ビジネス上でのパートナーや自社に応用出来る技術との出会いがあったかというと、そこはまだ分からない。

 当日の出展料は、通常テーブル5つ分のスペースで50万円必要なところを、よかネットがプロデュースするスペースについては主催者側に無料としていたただいた。そこで、お声かけさせていただいた各企業・団体からの出展料を無料とするかわりに、弊社の仲介手数料として、売上の10%いただくことにした。結果、アドテック市全体の売上は二日間で合計約20万円。当初の見込みを下回り、出展者の皆様からも「伸びなかった」という意見が大半であった。

所狭しと商品が並べられた「アドテック市」ブース

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 要因としては、物産ブースは来場者のメイン動線上になかったこと、当初割り当てられていたスペースよりも実際は狭かったため商品を置くスペースが限られたこと、想定していなかった(株)プレナスの出展による強力な競合「ほか弁」の登場など様々あったが、全体的に参加者のマインドが仕事モードであり、ノウハウ吸収やネットワーキングを目的とされているため物産を買うノリではなかった。そこの読み違いが大きかった。しかしながら、各店舗の売り上げ管理と手数料計算、保健所に対する飲食店臨時営業許可の取得方法等、物産展開催のノウハウはある程度身についた(こんな機会がもう一度あるかどうかは分からないが)。

 蛇足ではあるが、初日の夜に開催され、300名以上が参加したネットワーキングパーティーにおいては、富久千代酒造の飯盛社長が鍋島純米大吟醸、夏季限定酒等を振る舞うコーナーをコーディネートさせていただいた。以前開催した「佐賀の日本酒を飲む会」や鹿島酒蔵ツーリズム協議会への参加がこの場に繋がったというある種の感慨があった。

右が飯盛社長。大吟醸、愛山純米吟醸、雄町純米吟醸、サマームーン、特別純米を用意

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 都市計画のコンサルタント業界は、世の中の景気が良くなると、自治体の税収が伸び、自治体の調査・計画業務が増加し、仕事につながるというように、景気の波から大凡2年遅れで影響がある。アベノミクスの影響はまだまだ感じられず、厳しい状況が続いている。そういう意味では今回の物産展は私の中では一つのチャレンジであったし、今後もこれまで築いたネットワークをどう新規事業に繋げることができるか、飯の食い扶持を探す様々な努力をしていかなければならない。

 アドテック九州への出展にご協力いただいた企業・団体の皆様には、労多くして功少なしという結果になりご負担をおかけしたかもしれませんが、ご協力していただいたこと心より感謝申し上げます。

 2012年3月初旬、友人のfacebookにNHKクローズアップ現代の番組に関する投稿がされていた。番組のテーマはITを活用した在宅勤務やモバイルワークなどオフィスから離れて働くいわゆる「テレワーク」だった。

 その動画の中で、徳島県の山間にテレワークで全国的に注目を集めている神山町というまちがあることを知った。映像には、古民家の居間や軒先に胡座をかいて膝の上にノートパソコンを開いて仕事をする若者達の姿が写っていた。その古民家は東京に本社を置くソフト開発会社のサテライトオフィスで、若者たちは社員の方々。徳島県は全域に高速ブロードバンド網が敷かれており、インターネットの環境は東京よりも快適なのだそうで、東京にある本社との打ち合わせはテレビ電話でストレス無く行なっている。

 映像に映る風景や古民家は、九州の中山間地と大して変わらないのだが、神山町には続々とITベンチャーが進出してきている。その理由がとても気になり、ネットで色々調べていると、この動きのキーマンは「グリーンバレー」というNPOの理事長、大南信也さんだということが分かった。

 話は変わるが、佐賀市富士町では、昨年よりまちづくり勉強会が開催されている。2012年9月の第一回勉強会には佐賀市漁村女性の会・代表 古川由紀子さん、12月には高知県本山町から㈱ばうむの藤川豊文さん、米米ハートの真辺由香さんをお招きして開催された。私も講師の選定ならびに運営のお手伝いをさせていただいている。

 2013年の1月、勉強会の事務局をしている㈱インビルの永田さんから、「第三回まちづくり勉強会の講師を探しているのですが、どなたか紹介してもらえませんか」という相談をいただいたので、「私がお話をお聞きしてみたいのは、神山町の大南信也さんです」という話をして、前述の動画やネットの記事をお見せした。永田さんから「面白そうですね、私も聞いてみたい」という反応をいただき、調整もトントン拍子に話が進み、富士町のまちづくり勉強会の講師として、大南さんに来ていただける運びとなった。


●アーティストの呼び込みが地域の魅力向上につながり、創造的な人が集結

 神山町は人口約6,000人、高齢化率は約46%、標高は高い所で1,500mの中山間地域。この山里で最近、2つの「異変」が起きている。一つは2011年度の人口動態調査で、神山町の誕生以来初めて、社会動態人口が転入超過になったこと。もう一つは、2010年10月以降、ITベンチャー企業9社が本社やサテライトオフィスを設置していることだ。

 こうした移住者呼び込みの動きを遡ると、きっかけは1990年代のはじめから続いている様々な国際交流事業や、海外アーティストを受け入れる「アーティスト・イン・レジデンス事業」である。大南さんはこれら国際交流事業の中心人物として関わると共に、2002年にNPO法人グリーンバレーを立ち上げ、芸術家支援やアートによるまちづくりを進めてきた。この事業に参加した海外アーティストのための滞在の場をつくり、受け入れのノウハウを貯めていくうちに、移住希望者がアーティストから企業に変わってきたそうだ。

 そして2007年、総務省事業で神山町移住交流支援センターが立ち上がり、その運営をNPO法人グリーンバレーが受託した。大南さんによると、移住者受け入れを行政ではなく民間のNPOが住民目線で進めた、言い換えれば仲間を引き入れたことが成功要因の一つということだ。NPOの仲間や地域住民で、自分たちの地区を将来どうしたいかという理想を思い描き、その実現のために入ってきてもらいたい人達を逆指名で呼びこんでいる。

 具体的にどのように呼び込んでいるかというと、2008年に立ち上げた「イン神山」というHPにアクセスしてきた移住希望者の方々に、ヒアリングを行っている。このヒアリング項目がユニークで、「ほとんどの自治体は、家族構成と物件の希望のみを聞いているが、神山町は夢、志、能力、仕事、生活設計を聞き、将来町にとって必要な人材を逆指名している」とのこと。この移住交流支援センター立ち上げ後、23世帯44名、子ども10名が移住、子どもを持つ若者夫婦、起業者、若者の受け入れを優先しており、移住者は平均年齢33歳と若い。業種は飲食店、パン屋さんや、インターネット関連など様々である。ネット関係の方々については、デザイナーやプログラマだけではなく、営業担当が移住してきており、しかも成績は社内トップレベルらしい。こうした業界は営業担当であっても地理的制約に関係なく仕事ができる時代なのだなと驚いた。

 第三回富士町まちづくり勉強会にて、大南さんからは「何をつくるかではなく、どんな人が集まるか、が鍵」「過疎は全国レベルで進行しており、なだらかな人口減少は仕方がない。問われるのは数ではなく質である。将来のイメージを思い描き、逆算して考えることが『創造的な過疎』だ」「地域で新しいことに取り組むと、すぐにアイデアキラーが出てきて、難しい、無理だ、できない、前例がないと言うが、そういう時こそ時代の歯車を回すチャンス。出来ない理由よりできる方法を探し、とにかく始めること。一歩踏み出せば自分の景色が変わる」といった力強い言葉を我々参加者に向けて語っていただいた。


●学んだことの実践へ向けて、これからが正念場

 一連の勉強会を踏まえ、様々な動きが富士町で生まれている。前号で、第二回富士町まちづくり勉強会の講師である高知県本山町、㈱ばうむの藤川さん、米米ハートの真辺さんを紹介させていただいたが、まず、3月上旬に、廃校利活用の方向性を検討している地元メンバー総勢15名が本山町に向かい、廃校を活用した集落活性化センター汗見川にて両町の住民同士が交流し学び合う予定だ。そして、来年度、NPO法人グリーンバレーに永田さんが研修生として派遣される話しが持ち上がっている。また、九州でオフィスを探す東京のベンチャー企業の方をお招きして町内の空き物件を見てもらったり、今後町内への移住者受け入れに向けた住民レベルの検討会が古湯地区を中心に立ち上がるなどしている。

 ただ、一方で難しさもある。大南さんを囲んだ懇親会にて、東京から佐賀市北部に移住されて十年以上経つ方とお話する機会があったのだが、「自分も外から様々な人に入ってきてもらいたいし、そのためにできることはしたいが、移住者受け入れのような地域ぐるみの活動は、まだ自分にとってハードルが高い。佐賀に住んで10年以上経ったのに、昔からそこに住んでいる人との間には薄皮がある」とおっしゃっていた。富士町において移住者呼び込みのお役に立とうとしている永田さんも、町民ではない。一方で、藤川さんや大南さんはいずれも地元の建設業の家系で、かつ東京や米国で学生時代を過ごし、外の目を持っている方々である。加えて、閉鎖的と言われることが多い佐賀の農山村と違い、四国はお遍路のようによそ者が行き交うことを許容する文化がある。だからこそ、佐賀においては地元で生まれ育った方々と密にコミュニケーションを取りながら、地域のリーダーの発意のもと、なるべく地域コミュニティと一体の形を取りながら慎重にコトを進めることが重要であり、永田さんや私といった外の人は、リーダーの参謀役、地域に外の人脈を呼び込む窓口、そしてある時は人口減少等が地域に与える影響について警笛を鳴らす専門家など、状況を見ながら様々な役割を果たす必要があると感じる。

 いずれにしても、勉強だけでなく実践に向けた挑戦が始まっていることは、様々な地域のまちづくりに中間支援的に、時にはきっかけづくりの形で関わる者として嬉しく思うとともに、今後も微力ながら私に出来る限りのサポートをしていきたいと思っている。

大南さん講演会の様子

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 以前ご紹介した「佐賀にとろけるツアー」に参加された高知県内の地域活性化NPOメンバー、県の観光担当職員や観光連盟、いの町の観光協会職員等、観光まちづくりに関わる方々高知県の方々からお誘いをいただき、10月6~8日の2泊3日で高知の観光まちづくりを学ぶツアーに参加させてもらった。このツアーの中では、朝どれの「日戻り鰹」を求める県内外のお客さんで賑わう中土佐町・大正市場や、いの町での手漉き和紙づくりや仁淀川でのカヌー体験、高知市の日曜市やひろめ市場来訪など、様々なメニューがあったのだが、紙幅の関係もあるので、その中で高知県の中山間地域活性化の取組について紹介したい。

 高知県は高齢化率が28.8%で全国3位、平成17年から平成22年の5年間での人口減少率が4%(約5万人減少)でこちらも3位と、全国的に見ても厳しい状況にある。国立社会保障・人口問題研究所が提供している将来人口推計データ(平成22年国勢調査をもとに推計)を見ると、高齢化率の全国平均値が高知県と同レベルになるのは平成31年であり、単純に高齢化率だけを見れば、高知県は全国より10年進んだ状況にある。その中でも中山間地域は特に疲弊が進んでいる。

 今回は、そうした中山間地域の一つである本山町でのまちづくりについて報告したい。


●足元の資源を使って事業化し、雇用を創出する民間発の取り組み
①ばうむ合同会社
 高知県本山町は、平成24年住民基本台帳の人口が3,889人、高齢化率は40.9%、四国山脈の中央部に位置し、約9割が急傾斜の山林で、集落・耕地は標高250m~740mの間に点在している。その中間部を吉野川が東流する。

 本山町に入って、まず「ばうむ合同会社」に向かった。案内していただいたのは、代表社員である藤川豊文さん。藤川さんは本山町で生まれ育ち、関東の建設会社に勤務した後、Uターンで本山町に戻り家業を継いだ。そして、平成17年に商工会青年部の有志でばうむ合同会社を立ち上げ、過疎化する地域における人材育成事業、地域資源を活用した新たな産業づくりに取り組んでおられる。具体的に、人材育成においては、慶応大学大学院経営管理研究科と連携し、インターネットを活用した双方向のテレビ会議システムを活用し、起業家育成講座を実施している。藤川さん曰く「変化の早い時代に対応すべく、小さく、機動力のある会社を30年後に30社立ち上げ、300人雇用したい」。実際に、現在は小学校向けの机・椅子や「もくレース」という木工芸品の販売で、平成23年は3000万円を売り上げ、4名を雇用している。また、近いうちに地元産米を活用した焼酎を取り扱う企業を立ち上げるそうだ。「100年先、200年先を見据えて、自然と共生できる、持続可能な産業をつくりたい。まずは林業を再構築したい。」とおっしゃっていた。

ばうむの主力商品である「もくレース」。社員の女性が趣味としていたレースのデザインを取り入れた木製コースターを作ったところ、大人気に
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②米米ハート
 その次に向かったのは、「米米ハート」という、米粉のパンを製造・販売するパン屋さんである。このお店は、本山町の真辺由香さんが代表を務める女性グループが運営しており、平成21年にオープンして今年で4年目。パン屋の他、米粉ケーキ専門店も平成24年3月にオープンした。2店舗で正社員5名、パート13名を雇用している。代表の真辺さんは、底抜けに明るい女性で、ニコニコと笑いながら、米米ハート設立の経緯や職場の様子をお話してくれた。

 元々は森林組合の事務職員で、お菓子やパン作りは趣味だったそうだが、地元のJA土佐れいほくが平成21年に、国の6次産業化の補助事業で米粉のブランド化に取り組み、米粉の製粉機を導入するのに合わせて森林組合を退職し、パンづくりを始められた。オープン当時の米粉パンのレパートリーは70種類だったのが、毎月新しいものを最低一個作っていたら、現在は230種類。私は「ナスの照り焼きバーガー」という珍しいパンを頂いたが、和風の味付けで、米粉のもっちりしたパンとよく合う。「オープンしたてのころ、病気にかかってしまって2年間闘病生活。一か八かで手術をして、今ではすっかり元気になりました。毎日が楽しくってしょうがないですよ」と語る真辺さん。笑顔が絶えない明るい職場だそうで、スタッフはすべて女性。

 過疎化の中、雇用の場は限られており、家庭の事情を考慮しながら勤務時間を確保することは簡単なことでは無いが、農業や子育て、介護など、個々の事情に合わせてシフト可能な、女性にとって働きやすい職場環境をつくっている。真辺さんは「積極的に地元のものを使って、地元の女性が考えたメニューを親しんでもらうことで、地域と一緒に成長したい」とおっしゃっていた。藤川さんと同様、町の将来について危機感を持ちながらも、「地域のものを使って」「地域とともに」「地域に雇用を」という思いが言葉の端々から感じられた。

米米ハートにて、ツアー参加者と談笑する代表の真辺さん(右端)。服装も、表情も、話し方も、とても明るい方だった
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●行政の中山間地域支援の取り組み
①地域支援企画員
 こうした、中山間地域の民間発の動きに対する行政のサポートとして、印象的であったのが、地域支援企画員と集落活動センターであった。

 高知県は平成16年から、地域づくり支援課内に「地域支援企画員」というチームを立ち上げた。県庁職員が地域支援企画員として各市町村に1〜2名ずつ派遣され、市町村の役場内にデスクを設け、週5日常駐するかたちで勤務している。この地域づくり支援課は約60名からなる体制であり、県と市町村の連絡調整のパイプ役を担うとともに、地域にあった取り組みを一緒に考え、活動していくキーマンとなっている。   

 今回の視察ツアー中に、中土佐町、いの町、本山町の地域支援企画員の方々とお会いしたが、皆さん地元の自治体職員や住民の方々と打ち解けて、共に活動しておられ、「まちづくりにより深く関わりたい県庁職員にとっては、天職です」と語る方もおられた。もちろん、支援員によって地域との相性や向き不向きはあるだろうが、この制度は総じて内外からの評価が高く、8年目を迎え、県外からの視察も多いそうだ。

②集落活動センター
 もう一つ印象的であったのが、中山間地域対策課の「集落活動センター」という事業。本山町内を流れる汗見川沿いには、6つの集落があり、平成24年4月時点で104世帯、216人の住民が暮らしている。この流域地域の高齢化率は59%と、高知県の中でも高齢化が進展している地域の一つだ。

 今回、この汗見川地区において廃校を利用した「集落活動センター汗見川」を視察した。汗見川地域では、平成11年に住民により「汗見川活性化推進委員会」という団体が組織され、様々な河川・森林の保全活動や廃校活用策の検討が行われてきた。そして、平成24年度に高知県中山間地域対策課の事業として集落活動センター推進事業という支援策が立ち上がるのに合わせて、平成24年3月から、汗見川活性化推進委員会が中心となって、運営方法や事業内容の検討を行い、6月に集落活動センター汗見川がオープンした。

 この活動内容としては、薬草の栽培や加工品の製造・販売(地域のスーパーの一番良い場所を確保してもらい販売)、「森のおきゃく」というユニークなツーリズムに取り組んでおられ、集落住民216名のうち40名以上が関わっているという。「おきゃく」とは土佐弁で宴会のことで、献杯と返杯を繰り返すのが土佐流。「しばてんおどり」という本山町伝統のコミカルな動きの踊りを踊りながら、地元の方々とおきゃくをするのが「森のおきゃく」である。私も高知市内で本山町スタイルのおきゃくを体験したが、しばてん踊りで大いに盛り上がった。

 このように、町内での企業、住民団体主体の動きに対して、外部の教育機関や国事業も取り入れながら、町と県が協力し、バックアップする体制が組まれている。

集落活動センター汗見川
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集落活動センター汗見川にて。お話をお聞きしたのは、地元役場職員の大西千之さん、汗見川活性化推進委員会の山下文一会長
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●高知と佐賀が地域間交流をしながら、学び合う関係性へ
 高知県、本山町の取り組みから学ぶことは大変多かった。高齢化・過疎化への対応という意味では、高知は危機的状況にある分、住民、企業、行政がタッグを組んだ最先端の取組が試行されている。

 私がまちづくりに関わらせていただいている佐賀県富士町は、人口、標高、平均気温、面積などなど、本山町とほぼ同じ値である。ただ違う点は、高齢化が本山町の方が3ポイント程高いということと、福岡市という九州最大のマーケットに隣接しているということ。その分、危機感は本山町の方が高いように感じるし、地域活性化の取り組みも進んでいる。そこで、12月18日に、ばうむ合同会社の藤川さん、米米ハートの真辺さんをお呼びし、富士町で開催されているまちづくり勉強会「元気塾」(富士支所総務課主催)の講師を務めていただくことになった。こうした二地域間交流を進めていくことで、若干の消費と、多くの学びを互いに得ることができればと思う。

 勉強会の後は、富士町から本山町に有志で視察ツアーに行こうか、という話も出ている。高知と佐賀は薩長土肥の間柄。この地域間交流を継続し、学び合いながら、互いのまちづくりがレベルアップしていけばいいと思っている。

手ぬぐいをかぶって「しばてんおどり」を踊りながら、献杯&返杯のおきゃく体験。高知の夜は長い
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本山町での各取組に対する、県、町、関係団体の支援
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●鯖江市の概略紹介
 鯖江市は、福井県の北部に位置し、人口は約6万7千人、国内唯一のメガネ関連産業の集積地である。元々は1905年に地元の庄屋が大阪から眼鏡職人を招いて、降雪が多い冬季でも屋内でできる作業として、近在の子弟に真鍮枠の眼鏡の技術を取得させたのが始まりである。今では、鯖江市のメガネフレームの国内シェアは96%、世界シェアでも約20%を占め、市内従業者の6人に1人がメガネ関連産業に従事している。

 しかし、メガネ産業を取り巻く環境は厳しい。福井新聞によると、日本のメガネフレームの輸入額は1992年から2010年までの18年間で約54億円から約153億円と3倍になり、輸入額に占める中国の割合は5%から75%に増加、一方で日本からの輸出額は約406億円から約124億円へ、3分の1に減少している。この20年間で鯖江市内のメガネ関連の事業所数は4割、従業者数は3割減少している。さらに、近年は韓国が安価なプラスチック製メガネを中心にシェアを伸ばしており、日本への対日輸出額は2012年1~7月度の前年同期比8割増となっている(韓国、聯合ニュース)。ニュースなどでソニーやシャープ、NEC等、日本の製造業大手の苦境を耳にするが、地域の中小企業からなる産業集積地も、グローバルな競争にさらされている。

 そうした中、鯖江市の地域・産業活性化、地域ブランドづくりへの取り組みがユニークであると、様々な方からお話を聞く機会が増えてきた。また、弊社は今年度、㈱博報堂との協働で、玉名市の地域ブランド戦略プラン策定のお手伝いをさせていただく機会を得たため、8月3~5日に鯖江を訪問し、まちづくりのキーマンや市職員の方々からお話をお聞きするとともに、鯖江市のメガネ工場・メガネの小売店舗等を視察した。


●メガネ関連産業の活路は「鯖江ブランド」づくり
 鯖江市は、平成22年度から平成26年度の5年間を計画期間とする「第5次鯖江市総合計画」の中で、「鯖江ブランドづくり」と「人の増えるまちづくり」という2つの重点施策を挙げ、すべての事業がこの重点施策に紐付く施策体系としている。

 そして、平成22年より「大学連携地場産業鯖江ブランド化事業」を実施し、ブランディングを専門とする学識経験者等を招いた勉強会(年5回開催)や講演会を通して、鯖江市のブランド力向上を進めており、これまで蓄積された固有技術や伝統的な技法を生かした新製品・新技術の開発、異分野・異業種への進出を支援している。

 今回訪問した㈱キッソオでは、吉川専務からお話をお聞きした。㈱キッソオは元々、メガネフレーム用のプラスチック材、メタル材の加工を手がけていたが、2010年からは、アクセサリー部門を立ち上げ、キッソオの店頭はもちろん、近隣のメガネ店、美術館等で販売を開始している。この新規事業への着手、販売チャネルの選択にあたっては、前述のブランド化事業の勉強会で同業者やアドバイザーの方々からの意見を参考にしたとおっしゃっていた。

 また、小売店である「田中メガネ」の田中さんからお聞きした話によると、鯖江市のメガネフレームメーカーは、海外企業のブランドをOEM生産してきたため、産地である鯖江の名前が表に出ることは多くなかったそうだ。しかし、今後は世界のメガネ産地として福井・鯖江のアピールを実施するとともに、海外で真似のできないメガネフレームとして伝統工芸とコラボした商品、また高度な加工技術が必要なチタンやマグネシウム素材を使用した商品開発を行っている。加えて、TEAM291(ふくい)というブランドを立ち上げ、インターネットによる商品管理・小売により、品質の良い商品を適正価格で消費者に届ける仕組みづくりに挑戦している。
 こうした「産地のブランド化」を、総合計画における最重要課題として、市・企業が一丸となって取り組んでいる。

(株)キッソオのフレーム樹脂加工技術を活かして作られたアクセサリー
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●鯖江市のまちづくりの「ブランド化」
①鯖江市地域活性化プランコンテスト
 そもそも私が鯖江市に関心を持ったきっかけは、「鯖江市地域活性化プランコンテスト」であった。このコンテストは、まちづくり・地域活性化のプランを大学生が考案し、市長に提案するというもの。鯖江市出身で当時東京の人材育成コンサルティング会社に勤めていた、竹部美樹さん(現在は鯖江市のNPO法人エル・コミュニティ代表)らが、大学生の人材教育の一環として企画し、今年度が5回目。毎年、関東、関西から学生約30名が集まり、2泊3日の泊まりこみで鯖江市を見て回り、市長になったつもりで施策を提案している。
 このコンテストで提案されたプランは、実際に実行に移されているものもあり、参加者の学生が社会人になってから地域活性化NPOを立ち上げたりしている。大学がないまちが、学生の若いアイデアや行動力をうまくまちづくりに活かした事例として、各種メディアに取り上げられ、鯖江モデルが各地に派生するなど注目を集めている。主催は鯖江市地域活性化プランコンテスト実行委員会であるが、鯖江市も情報発信や運営サポートなど、積極的に運営に関わっており、竹部さんの思いの実現を後押ししている。

②鯖江IT推進フォーラム"電脳メガネサミット"
 もう一つの興味深い事例は、鯖江IT推進フォーラムである。このフォーラムは、市内のIT企業㈱jig.jpの福野社長が中心となって運営している。前述の工場訪問の後、第二回鯖江IT推進フォーラム"電脳メガネサミット"に参加させてもらった。

 電脳メガネとは、メガネのレンズの部分に必要な文字や映像などの情報を現実の情報と一緒に表示することができるもので、現在グーグルが開発中の「グーグルグラス」や、セイコーエプソンの「MOVERIO」などが有名だ。この電脳メガネの産地としての鯖江市の役割を模索するとともに"メガネとITのまち鯖江"を世界に発信するために開催されたそうだ。

 福野さんは、このフォーラムの中で、「スマフォはもう古い。今からは電脳メガネだ。」というメッセージを出しておられ、メガネのまちの将来を牽引する可能性のある「電脳メガネのまち、鯖江」を早くもアピールし、電脳メガネを核とした新産業を牽引しようとしている。

 鯖江市は、この動きを、市のHP等でPR、鯖江市長も開始から終了までフォーラムに出席し、積極的にコメントされていた。また、市の職員の方々が受付や懇親会など、運営のサポートを献身的にしている姿が印象的であった。

 このような地域ぐるみでのウェアラブル端末開発の動きに加え、近年は、オープンデータ、オープンガバメント、といった最新トレンドにおいても、福野さんら鯖江市民、市内企業の取組が全国をリードしている。

IT推進フォーラム"電脳メガネサミット"の様子
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③鯖江市「市民主役条例」
 こうした市民・市内企業が主導、行政がサポート、という鯖江市の動きを象徴するのが、平成22年4月に策定された「市民主役条例」である。市民主役条例の目的は、市民が主役のまちづくりを進めることであり、条例の理念として「まちづくりの主役は市民である」「市は協働のパートナーとしてまちづくりに参加する市民の気持ちに寄り添い、その意思を尊重するとともに、自主自立を基本とした行政運営を進める」とある。そして、この条例とセットで市民が発案した事業に行政が予算をつけて実現化する「提案型市民主役事業化制度」という施策も実行されている。

 これらの動きは住民、企業、そして市役所内部からも大変高く評価されており、市職員の方曰く「牧野百男市長の人望は大変厚く、市役所職員からもとても慕われている。市長が言うのであれば、という雰囲気がある。」とのことだ。竹部さんによると、鯖江市長・鯖江市はとにかく柔軟で、若者の意見もよく聞いてくれ、まずはやってみようとなる。それだけに失敗も多いらしいが、まずは動いて、挑戦してみて、修正する。そして一回で諦めない、継続しているところが強みなのだそうだ。 
 IT化、グローバル化と言われる現代、世の中の変化の流れは速く、特定の産業集積地や大企業も、いつその影響を受け、破綻するか分からない。鯖江市にも強い危機感があるが、鯖江市は、メガネを中心とした「産業のブランド化」、そして市民の自主性を活かしたまちづくりでこの苦境を乗り越えようとしている。

 結果、前述のように鯖江市地域活性化プランコンテストは、学生がまちづくりのアイデアを提案する場として、全国にその名が広がりつつある。そして、電脳メガネサミットにおいても、福野社長の呼びかけのもと、全国から大手メディア、製造業、ベンチャー関係者等、錚々たるメンバーが集まり、電脳メガネを活用したビジネスのアイデアなどを出し合っている。

 このように変化に敏感で、情報発進力のある人たちが集まる場が生まれ、鯖江モデルのまちづくりとして徐々にブランドができつつあり、全国から視察者が訪れるようになっている。 


●生き残る都市は、「変化する都市」
 昨年、ある先生がダーウィンの「生き残るのは、最も強い生き物でも最も賢い生き物でもなく、変化に適応できた生き物」という言葉を引用しながら、生き残るまちは「変化するまち」であるとおっしゃっていた。鯖江は今まさに、地域産業の既存の集積・強みを生かしながら、新たな産業に進出したり、販路を開拓、付加価値の向上等といった変化をしようとしている。そして、こうした動きを後押しする様々な分野のプロフェッショナルや多様な年代・地域の人材が外から集まり、変化を牽引している。

 そして、行政は「市民が主役、行政はそれに寄り添い実現をサポートする」という考え方で後押ししている。鯖江市のまちづくり・産業再生の動きは、日本各地のまちにも参考になる部分は多いと思う。

 鯖江市の挑戦から、今後も目が離せない。
●佐賀にとろけるツアーとは
 数年前から、旅先(着地側)の観光事業者や、地域を知り尽くした住民・企業が観光商品を開発し、地元ならではの"深い"サービスを提供する「着地型観光」のスキームが各地で次々に展開されてきた。この着地型観光についての考察は、以前の記事でも触れた。しかし近年、手軽な情報発信・コミュニケーションツールとしてソーシャルメディアが普及するに連れ、思いを同じくする人同士がつながることが容易になり、コミュニケーション・コラボレーションに必要な様々なコストが低下し、この動きが加速されていると感じる。その1つとして、佐賀県では、「佐賀にとろけるツアー」という活動がある。この取り組みについてご紹介したい。


佐賀にとろけるツアーの流れ
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●ツアーの準備はfacebookグループでのやりとりで、幹事が顔を合わせてのミーティングは1回のみ
 昨年9月末頃の事。佐賀県事業「富士町情報化ビレッジ形成プロジェクト」の一貫として「地域づくりフォーラム」を企画するにあたって、パネラーとして佐賀県の森本登志男最高情報統括監(以下森本CIO)ご本人に加え、そのお知り合いである勝屋久事務所の勝屋久さん、本荘事務所の本荘修二さん、(NPO)とさはちきんねっとの川村晶子さんにパネラーとして登壇の依頼をお願いしたい旨を森本CIOにご提案したところ、「実はパネラーの面々としては、同じ事を考えていた。加えて、アジア・メディア・プロモーションの渡邊竜一さんにご登壇いただくとともに、フォーラムの前後にプレミアムなおもてなしの、佐賀にとろけてもらうツアーを組み、ネットワークの広い勝屋さんのお仲間の方々にも来てもらってはどうか」という一言で、佐賀にとろけるツアーの企画が走りだした。

 早速、森本CIOが10月中旬に「佐賀にとろける2泊3日ツアー創生」という非公開のfacebook(以下FB)グループを立ち上げ、佐賀県内の異業種交流会である「佐賀会」の幹事の方々や有田町嬉野市佐賀市のキーマンなどからなる10人のメンバーが加わった。そして、グループのウォール上で、「パワースポットとして泉山磁石場はいかがでしょ?」「それは必須ですね」といった具合でアイデアが次々に出され、行程が徐々に組み上がっていった。11月上旬からは幹事が増え、行程表をgoogleスプレッドシート上で、リアルタイムに複数の人が更新していくことで、web上での協働が加速された。

 徐々にグループのメンバーは増加し、主婦や学生、団体職員、行政マンなど様々な職種・年代からなる総勢24名のグループになり、12月2日~4日にまたがる「佐賀にとろけるツアー」が完成した。第1回目のとろけるツアー前にこの24名全員が一同に介したことは一度もない。また、6,7人規模での幹事の打ち合わせも、一度だけだったと思う。ウォール上のファシリテーター役であった中村さんや、佐賀のFB会を盛り上げる濱田さん、川崎さん、金ケ江さん達とは、何度もFBのメッセージ等でやりとりをしていたが、結局顔を合わせたのはツアーの初日。「初対面のような気がしませんねー」という言葉を掛け合った。


●特徴1:地域にネットワークを持つ方々だからこそのおもてなし
 1回ツアーの参加者は、東京、鯖江、高知、福岡などから17名であった。なお、私も工程表原案の作成や全行程のおもてなしに加わらせていただいた。(いずれは私の出身地である鳥栖市でもとろけツアーをやりたい!)

第1回とろけるツアー行程(2011)
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地域づくりフォーラムの一コマ。パネラーの森本CIO、勝屋さん、本荘さん、川村さん、渡邊さん、ふじねっとメンバーと。勝屋さんのブログより。
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やってみたかった、温泉卓球。旅館大村屋さんにて。勝屋さんのブログより。
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有田工業高校にて。Youtubeなどに「開局!選挙チャンネル」の動画があります。一見の価値ありです。吉永先生はじめ有工の皆様、ありがとうございました。勝屋さんのブログより。
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 これらのひとつひとつの行程は、現地のことを知り尽くした地元の人から出されたアイデアなので、日本酒「鍋島」で有名な富久千代酒造の見学と飯盛社長による説明・試飲、肥前夢街道の皆様によるガマの油売りなどのパフォーマンス、大村屋さんでのスリッパ温泉卓球、古湯でのバルーン係留、小城市の天山酒造見学や普茶料理など、佐賀に住んでいたとしても滅多に味わえない、体験できないものばかり。特に、全国高等学校デザイン選手権大会で優勝した有田工業高校の生徒による「選挙チャンネル」の生プレゼンは素晴らしく、涙する人もちらほら。地方に行けば行くほど、旧来の縁故がある人で無ければ地域を動かすことは困難だが、このツアーでは、それが可能である。
(余談だが、幹事グループの一部は、「有田工業高校の優勝プレゼンを生で見たい」という声の高まりにこたえて、やはり一度も実際には集まらないまま、ホールに80人を集め、他2校を加えた日本一の評価を受けた高校生のプレゼンを見る会をfacebookで打ち合わせるだけで実現した)

 
特徴2:ツアー終了後もFBグループ上で交流が継続、通いあう関係へ
 また、ツアー終了後、参加者側とおもてなしスタッフの総勢51名からなる「佐賀にとろけるツアー」というFBグループが立ち上げられ、ツアーの写真や感想を共有しあった。このFBグループ内での交流は今も継続しており、また参加者がFB上の友人として繋がっている。このツアーがきっかけで交流が継続し、とろけるツアー第二弾の展開(佐賀県内の女性が、女性客をおもてなしするというコンセプト)につながり、富士町でのフォーラムのパネラーを務めていただいた川村さんのネットワークから、高知県の観光関係者やNPOの方々が佐賀を来訪された。

第2回とろけるツアー行程(2012)
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初日の夜、FB交流会の様子。小川さん撮影。
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2日目のガタリンピックへ向け、出発するところ。濱田さん撮影。
2日目のガタリンピックへ向け、出発するところ。濱田さんの写真借用。.jpg






















佐賀新聞に載った、高知からの参加者+江崎さん。矢野さん撮影。
佐賀新聞に載った、高知からの参加者+江崎さん。矢野さんの写真借用。.jpg






















第2回とろけるツアー。豊洋荘にて、有明海をバックに。いい写真。川崎さん撮影。
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特徴3:ツアー参加者、もてなし側からのクチコミの情報発信
 もてなし側のスタッフは、ソーシャルメディアに慣れた方々。また参加者の方々はIT系の経営者や市民活動を展開されている方々、投資家の方々など、情報発信力が強い方ばかりで、行く先々で「佐賀のパワースポット 巨石パーク なう!」「今日、富士町でオモロいイベントがあるから、きてね!」といったツイートをされていた。また、勝屋さん本荘さん竹部さんなど参加者の方々にツアー後、ブログに書いていただいた。
 生活者はマスメディアからの情報よりもソーシャルメディア等によるクチコミを信頼し、行動に移すという調査結果が多々あるなか、このツアーはこうしたクチコミを流通させる起点となる。

 この他、とろけるツアーの特徴には、次のようなものがある。
  • dropbox、サイボウズlive、salesforce等のインターネット上の協働ツールを活用し、遠隔地でコラボしながらのプランニングにより、ミーティングコストを低減
  • 観光客ともコミュニケーションしながら、臨機応変のプログラム対応が可能。
  • 現地の幹事や、おもてなしの仕掛け人、受け入れる商店や団体の方々が、地元の資源が県外の人に大きな評価を受けることで、地元に対する自信と愛着が生まれる。


●今後は、組織化、旅行業者との連携が課題
 一方で課題もある。今は、友人が友人をおもてなしするツアーということで、参加者からは実費(おもてなし側のスタッフの人件費はもちろんない)を頂いた。ただ、宿泊と飲食がセットになった募集型企画旅行を何度も催行すると、旅行業であると指導を受ける可能性がある。今後活動を継続するに当たっては旅行会社との連携は必須であり、旅行会社の商品化や、連携の可能性について探りたいと考えている(第三種旅行業は、旅行業務取扱管理者の手配や供託金の準備など依然ハードルが高い)。

 また、第1回、2回目は森本CIOを起点としたネットワークからの参加者であり、プロジェクトマネジメントの面でも、その推進力や説得力に頼るところが大きい。今後、取り組みを継続・拡大していくためには、組織の理念を共有したり、運営体制・各人の役割分担を明確化したりと組織としての体制を確立していく必要がある。


●佐賀にとろけるツアーは、訪れた方々の心をとろけさせるツアー
 第1回、2回のとろけるツアーでは、各地域の担当者が、自分が自信を持ってオススメする施設や景観、食、人とのふれあいを紹介し、来訪者と地元のもてなし側のスタッフが共に楽しみ、心を通わせ、交流する、素晴らしい日々となった。そして、第2回の参加者であった高知県の大石さんが、「景色も食も素晴らしかったが、何よりも人の優しさ、もてなしに感動した」とおっしゃっていただいた。その言葉に、第2回ツアーの中心的存在の川崎さん、彌吉さん、高橋さんらが涙するシーンが感動的であった。富士山や京都の寺社仏閣のように、唯一無二の観光資源は無いかもしれないが、こうしたおもてなしをして、その後もICTを活用して交流を継続することで、友人として何度も通い合う関係づくりができると思う。


●私個人としての、とろけるツアーの今後の展望
 佐賀にとろけるツアーは、私個人の地域づくり活動として関わらせていただいているが、今後益々進むであろう観光におけるソーシャルメディアの活用、都市住民と観光地がともに作り上げる観光商品づくりの貴重な実践の場だと思っている。

 とろけるツアーは、市民活動をされている方、観光事業者の方々、NPO関係者、行政職員の方々など、様々な方のコラボレーションによって成り立っているが、この活動の個人的な展望を考えてみた。
 まず、これまで行政が立ち上げてきた観光協会、観光連盟等のHPは、一定の集客力がある。このHP内に、意見交換・商品開発のプラットフォームとなるFBページ(立ち上げのみを行政側で準備)のリンクを張り、FBページの運営は地元住民、郷土愛のある出身者、また外に住むファン、各分野のマニアの方々などにお任せし、そこでのコミュニケーションから生まれた観光商品をフリーの知財として自由に楽しんでもらう、あるいは旅行代理店に販売してもらうようなスキームがあれば良いと考えている。そして行政側は、そこでの意見交換や、実際にそこで生まれたツアーを体験した人々のFBやtwitterの書き込み(特定キーワード)を収集、分析し、もてなしの向上に活かすような取り組みがあれば、と考えているが、どうだろう。興味のある方は、一緒にやりませんか。
 

ソーシャルメディアを活用した観光の展開イメージ
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●宇宙はどうやって生まれ、何でできていて、これからどうなっていく?
 昨年、素粒子物理学の先生からお聞きした話によると、宇宙は、そのほとんどが暗黒エネルギーや暗黒物質と言われる測定不能な物質で構成されており、人類が見知ることが出来ている物質は約4%に過ぎないそうだ。宇宙には、その始まりやこれから等々、未だ解明されていない謎が膨大に残されており、宇宙ステーションや"はやぶさ"のように惑星探査等で宇宙に「行く」、すばるやハッブルのような望遠鏡で宇宙を「観る」、あるいは加速器により宇宙誕生直後の状態を「創る」といった様々な手法で、宇宙の真理に迫る研究が行われている。
 仮想ビッグバンを「創る」次世代の加速器と言われているのが、国際リニアコライダー(International Linear Collider:ILC)である。ILCは、全長30km以上の地下の直線トンネル内に設置した加速器で電子と陽電子をほぼ光速まで加速・正面衝突させ、ビッグバン当初の超高エネルギー状態に近い状態を再現し、衝突によって生成される粒子を測定するもの。質量の起源や暗黒物質の解明など、未解決の宇宙の謎に迫る国際協働事業であり、現在候補地選定が進められている。21世紀の世界3大プロジェクトの一つと言われる巨大プロジェクトだ。
 そのILCの建設候補地の一つが福岡県・佐賀県境の脊振山地である。弊社はILCを核とした国際研究都市構想の作成を受託しており、私も都市構想研究会の末席に事務局として加えていただいている。
 現在、世界の素粒子物理学研究をリードしているのがスイスのジュネーブにある欧州原子核研究機構(Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire:CERN)である。昨年、CERNを訪問し、ジュネーブ州の行政職員やCERNの職員の方々にインタビューをすることができたので、ジュネーブ等周辺地域とCERNとの関係を中心にブログにアップします(以下個人の意見です)。


↓CERNでは、国際連携、人的資源管理、技術移転、ローカルコミュニケーションなどの分野の担当者からお話を伺った。
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↓CERNのルディガー・ボス氏、現地駐在のKEK(Kou・Enerugi・Kenkyuu・Kikou)の方々、九大川越先生、高田先生、佐大三島先生、九経調上田さんと。写真撮影の合言葉は「3、2、1ヒーッグス!」だった。
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●CERNで行われているのは、超巨大スケールの国際協働プロジェクト
 CERNは、ジュネーブ郊外、スイスとフランスの国境地帯に立地しており、1952年に誕生した戦後初の国際協同機関である。約2,500名の職員がおり、世界各国から年間約1万人の研究者・学生がCERNでの研究や実験に参加している。年間の予算規模は約1,000億円であり、その大部分は加盟国による出資によって賄われている。
 ここCERNにある加速器LHC(Large Hadron Collider)が、現時点で世界最大の加速器である。LHCは地下100mにある周長27km(山手線は約21km)のトンネルであり、その中に加速器と、「世界最大の科学装置、史上最大の機械、大聖堂」などと評されるATLAS(高さ22m、7,000トン)、CMS(12,500トン)を含め巨大な検出器が4ヵ所設置されている。
 また、加速管の中は宇宙の温度よりも低い摂氏マイナス271.3℃にまで冷却された真空状態であり、数千の超伝導磁石によって光速とほぼ同じ早さにまで加速された陽子が、検出器の内部で毎秒5,000万~数億回衝突する。こうして毎秒6ギガのペースで積み上がる非常に膨大なデータの中から質量の起源「ヒッグス粒子」の痕跡を探す作業が行われている。
 これらの実験により生み出されるデータは世界中の50カ国、250の計算センターにあるスーパーコンピューターをつなぎ、世界最大のグリッドコンピューティングによって解析される。科学雑誌「ネイチャー」は、「大型ヒューマンコライダー(2010.3)」という記事で、「これほど大勢の科学者が集まって研究し、全員が一つの目標に向かって努力をしたことは歴史上一度もなかった」と表現しているが、予算の調達から日常のコミュニケーション、そして研究成果の解析など様々な局面でグローバルな協働が求められる超巨大プロジェクトである。
 余談ではあるが、我々が日々使っているインターネットの基盤ワールドワイドウェブ(www)は、世界に散らばる数千の素粒子物理学者のコミュニケーション手段としてCERNで開発されたもの。売店では「world wide web born @CERN」と書かれたTシャツが売られており、私もミーハーなので一枚購入した。


↓ATLASの検出器。真中下に写っている人と検出器全体とを比較すると、その大きさが分かる。
(CERN HPより)
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↓検出器「ATLAS」のコントロールセンター。壁面全体がモニターになっている。スタッフが常駐・監視している。
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↓陽子同士の衝突時のシミュレーション画像。膨大なデータの中からヒッグス粒子の痕跡を探す作業が行われている。
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↓赤い円が空から見たLHC加速器のトンネル。実際には地下100mにあり見えない。(KEK HPより)
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以下、国際研究機関が立地する都市としての、ジュネーブの魅力について考えたことのメモ。

歴史的蓄積・経験: 国際都市としての歴史的な蓄積がある
 こうした巨大国際研究機関を受け入れている都市が、ジュネーブである。ジュネーブには国際連合欧州本部や世界貿易機関 (WTO)など31の国際機関で約3万人が勤務し、250のNGOが存在する。なぜジュネーブにこれだけの多くの国際機関が立地しているのか、ジュネーブ州の国際機関の調整窓口を勤めている担当者によると、「ジュネーブは1800年代の赤十字の設立以来200年にわたって、国際都市としての土壌が育まれてきた。このことはジュネーブの存在価値であり強み」だそうだ。
 現在、ジュネーブは世界有数の国際都市であり、外国人が住民の4割を占める。一方でレマン湖のほとりに歴史的な町並み、文化財があふれており、飲食店ではチーズフォンデュやスイスワインなどの地域性あふれる食事を楽しむことができる。長い年月をかけて培われた国際性とローカル性が共存した魅力的な都市である。


↓チーズフォンデュとスイスワインを堪能。スイスワインは地元で消費されるため、輸出に回る量が少ないらしい。美味でした。
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↓レマン湖のほとりを10kmジョギング。池のほとりに歩道が広くとってあり、走りやすい!!!
朝ラン@ジュネーブの軌跡(runkeeper)ttp://runkeeper.com/user/haraksk/activity/60726304
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教育・生活環境: 各国から訪れる研究者子弟の教育環境が充実している
 またジュネーブは、教育の国際化が進んでいる印象を受けた。公立学校は、小学校低学年は仏語のみ、9歳からドイツ語を学び始め、12歳から英語も学ぶ。ジュネーブはインターナショナルスクール発祥の地だけあって、その教育レベルが高く、選択肢が充実している。インターナショナルスクールの学費は高いところで年間300万円と非常に高額だが、CERN研究者は20~30代の若手が多く、「研究者の生活環境を整える上で、子弟の教育環境整備が重要(CERN担当者)」という理由から、インターナショナルスクールの学費の75%が補助されている。

↓食堂のメニューが豊富で美味しく、生活環境も充実。子ども連れの姿もちらほら。
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都市機能・インフラ: 都心や交通機関とのアクセスが良好である
 ジュネーブからCERNまでは片側2車線のまっすぐな道路で直結されており、ターミナル駅であるコルナヴァン駅からCERNのメイラン地区のキャンパスへは、トラム(路面電車)に揺られて30分ほどで行くことができる。CERNはトラムの終着駅なので、トラム自体や停留所に「CERN行き」と書いてあり、非常にわかりやすい。また、CERNからジュネーブコアントラン国際空港までは直線距離で3kmと近く、世界中から訪れる研究者達が容易にアクセスできる。CERN内の研究者にとっても、生活の利便性が高く、気分転換や異業種の交流が可能な環境となっている。


↓CERNとジュネーブ中心部の位置関係(Google map)
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基礎科学への理解: 地域住民の基礎科学に対する理解が深い
 ジュネーブ州の都市計画担当者に、ジュネーブのまちづくりについてヒアリングをしていたとき、印象的なことがあった。我々がジュネーブに行ったのは、「光よりもニュートリノの方が早い?」というCERNでの実験結果が世界中で報道された2~3日後だったが、その担当者がCERNでの研究内容や報道内容を、まるで我がことのようにスラスラと自慢げに語っており、科学への知識・造詣の深さが伺えた。そこで、「ジュネーブの街の人もそんなに詳しいのか」と聞いてみると、「下に降りて聞いてみたらいいさ。街の人は皆知っているよ」と言うのだ。聞くと、「スイスの国民は好奇心旺盛で、世の中の動きを常に把握したがるところがあり、CERNでどのような実験が行われているかということについても、住民の大多数はよく把握している」のだそうだ。住民の基礎科学の理解度や関心は日本と比較して格段に高いことを肌で感じた。加えて、村上陽一郎先生の書籍「科学・技術と社会」によると、ヨーロッパにおける「科学」は元々、神の行いを解明する神聖な行為の延長上で、真理の探求に対して国の予算を投入することについても、伝統的に住民の理解が深いのだそうだ。
 実際、CERNの研究には莫大な投資がなされているが、国として短期的な利益を求めておらず、長期的な視野で取り組んでいる。このあたりは、科学技術予算が事業仕分けで削られる我が国との違いを痛感させられる。研究開発の成果の移転・商用化に対しても、wwwの例を見ても分かるように、より広く社会へ還元することを重視している。


↓現地の雑誌の1ページ。CERNでの実験成果、建造物を芸術的・美的なものと解釈。
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コミュニケーション: CERN、自治体が協働し、住民とのコミュニケーションを図っている
 加えて、CERNと自治体側も住民とのコミュニケーションの努力をしている。LHCの稼働前後に、世界各国から研究者が移住し、外国人の人口が増加したことや、「実験によってブラックホールが生まれるのではないか」という噂が周辺地域で広まったことから、CERNはローカルコミュニケーションの部署を新設し、様々な交流プログラムを実施している。
 自治体側は、CERNのエントランス付近にある「The Glove」という木製の展示館の建設費を拠出し、内部の壁一面を使って再生される壮大なビデオ映像のスポンサーを探すといったサポートを行なっている。展示内容は、CERNの施設紹介や、素粒子、宇宙について、非常に美しく、且つわかりやすく作りこまれており、そのセンスに感心させられた。今後も、エントランス付近の沿道やゲートをCERNと自治体が予算を分担し、整備していくそうだ。
 このようにジュネーブは、長い年月をかけて築かれた国際性、基礎科学への理解度の高さといった基盤を形成している。この国際都市としての基盤の上にCERNという国際研究機関が立地し、自治体とCERNが協働しながら交通・交流機能を整備し、研究者の生活環境を整え、市内の他の関連施設と都市とが上手く連携し、活性化させている。


↓CERNで実施されている交流プログラムの例
Draw me a Physicist:地元小学生向けに科学者の仕事を教える。20の小学校から約400名が参加。
High School Teachers at CERN:高校の物理教師向けの20日間の講座を提供。世界各国から約1,000名が参加(2010年)。
CERN Summer Student Program:大学生・院生向けプログラム。53カ国から約200名が2ヶ月滞在。


↓The Groveの外観。地球を思わせる球形で、環境に配慮した木製の建造物。
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↓The Glove内部。定期的に部屋が暗くなり、壁面一体に宇宙のはじまりや素粒子についての美しく先鋭的な映像が流される。映像のスポンサーはROLEX。
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●脊振山地のポテンシャルと課題
 現在、脊振山地を含む世界5地域が名乗りを上げており、国内のライバルは北上山地である。これらのジュネーブの現状を踏まえた上で、脊振山地に目を転じると、福岡市、佐賀市といった拠点都市や空港・港湾・鉄道等の交通拠点と近接し、既に一定の都市基盤・インフラが築かれている。この点はこれから都市形成を図る北上山地と比較して優位性があると思う。また、北部九州は成長するアジア市場に近く、これまでも産学官が連携したアジアターゲットの様々なプロジェクトが展開されており、日本国内では比較的国際交流の歴史的蓄積がある。このほかにも、温暖な気候、災害の少なさなどのポテンシャルを有する。
 ライバルである岩手県は、震災復興のシンボルの一つとしてILCを位置づけている。もちろん復興におけるILCの重要性は大きいと思うし同情する部分もあるが、今後数十年間利用される施設だという長期的スパン、研究者の多くを占めるであろう外国人ユーザーの観点から見て、客観的に脊振山地の方が研究に向いている立地だと感じる。
 一方で、ジュネーブと比べると、インターナショナルスクールやサインの整備、住民の語学力など国際都市としての外国人受け入れ環境や、基礎科学への地元住民の興味・関心・理解などはまだまだ向上の余地が大きいと思う。


●ILCをぜひ脊振山地へ!インパクトは大きい
 CERNでの研究から生まれた成果は、素粒子物理学分野に加え、wwwのような通信技術や、重粒子線ガン治療のような医療分野まで幅広い。そして、これから建設されるILCにおいても、このような私たちの暮らしを変える様々なイノベーションがそこを起点に生まれる可能性がある。また、ILCは施設自体の建設投資だけで約8,000億円〜1兆円(日本政府は約半分を負担、残りは関係諸国で分担)であり、これに加えて周辺の研究都市形成やインフラ整備も行われる。さらに、数千人の研究者が世界各国から集結・定住し、年間数万人の研究者が来訪する。その直接投資だけでも莫大な規模(ILCの経済波及効果は建設時約1兆1千億円~運用を含めると4~5兆円)である。そして、地域住民や企業の国際性が高まり、九州の知名度・ブランドが世界的に向上する大きなチャンスでもある。


●外国人の研究者コミュニティでも、ILCを日本へとの声
 日本は素粒子物理学の分野で世界的な競争力があり、日本人が受賞したノーベル物理学賞7人のうち、6人が素粒子物理についての功績である。この分野で世界的に日本への信頼度は高く、研究者コミュニティの中では「CERNの次世代の加速器は日本へ」という声は少なくないという話も聞く。


●これから必要なのは、地元の盛り上がり!
 日本国内の雰囲気としては、「ILCは東北に...」だと思う、現時点では。昨年12月にNHKのニュースウォッチ9でILC構想が紹介されたが、東北の動きがメイン。脊振山地への言及は「脊振山地も候補地です」という一言で終了。国内盤Wiredのvol2にILCが紹介されたときも、東北のことしか書かれていなかった(web版には脊振山地の名前だけは登場していますが、漢字を間違えている...)。繰り返しになるがユーザー目線では北上より脊振の方が利便性・安全性が高いが、脊振に足りない、そしてこれから必要なのは、地元の盛り上がりだと思う。ジュネーブ・CERNですら、サイエンスコミュニケーションの部署を新設して力を入れていたが、ここ九州においても、地元自治体を中心に組織を増強・新設するなどして、地道に啓発していくことの必要性を感じる。民間ベースでも、周知イベントや草の根の情報発信など、色々できることはある。
 こうしたフィールドがもし日本で形成されるならば素晴らしいことだと思うし、九州に生まれた私としては、ぜひILCが九州に立地して欲しいと思う。今後も微力ながらできることはしていきたい。



追記メモ:日本には、基礎科学への投資を拡大する国家的責任があるとの声も
 やや脱線気味になるが、前述の村上陽一郎先生の書籍によると、「日本は明治維新以降、欧米へのキャッチアップ重視で応用研究に力を入れ、諸外国が開発した技術を商用化・カスタマイズすることで国力を増強し、利益を上げてきた。しかし、現在先進国の基礎科学への投資は減少し、代わりに応用研究への投資が拡大する傾向にある。このままでは世界のイノベーションが停滞する恐れもある。日本のこれからの社会的責務として、基礎科学への投資を拡大し、世界の研究投資のバランスを保つ役割をすべき」といったことが書かれていた。
 自転車は、私の趣味の一つである。これまでマウンテンバイクや小径車に乗っていたが、今年の8月、友人からロードバイクを譲り受けた。そこでこの夏、友人達としまなみ海道ツアーと錦江湾一周ツアーに行ってきた。


●しまなみ海道は、ロケーション、ハード、サービスともにハイレベル
 西瀬戸自動車道、通称「しまなみ海道」は、広島県尾道市の西瀬戸尾道ICを起点とし、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島などを経て愛媛県今治市の今治ICに至る有料道路である。しまなみ海道は様々なメディアで紹介されている日本有数のサイクリングコースであり、日経新聞土曜版の「なんでもランキング」でも、おすすめのサイクリングコースランキング1位に選ばれている。
 私がしまなみ海道を走ったのは8月20日。朝8時頃、尾道を出発し、途中で直売所や商店街、博物館等に寄り道しながら、午後5時頃に愛媛県今治市へ到着した。尾道の宿泊施設を出発してから今治市の宿泊施設に到着するまでの総走行距離は約90kmであった。
 私が感じたしまなみ海道の魅力は、まずはそのロケーションである。大小様々な島々が連なる瀬戸内の景観、漁村の営み、斜面に広がる田畑や柑橘類の畑。三連つり橋の来島海峡大橋、塔から斜めに張ったケーブルで橋を支える斜張橋の多々羅大橋など眼下に海を眺めながら走るコースは「空中サイクリング」と言われる所以である。
 また、ハード面の整備状況にも感心した。それぞれの橋には自転車専用道が完備されており、一般道から橋に出入りするための取り付け道が自転車専用のループ橋であったりする。そして、尾道から今治に至るまでの道路には十分な広さの自転車専用レーンが設けてあり、路面の凹凸やタイヤがはまりそうな側溝も無い。一部分、自転車道が歩道上に設けられている部分もあるのだが、車道から歩道に入る際の段差が非常になめらかに作られており、ストレスを全く感じない。
 そして、ソフト面も充実している。例えば、生口島の「しおまち商店街」は、入り口のゲートに「サイクリストオアシス」という看板を掲げており、自転車愛好家達を迎えている。この商店街に入ると、サイクルジャージに身を包み、高価な自転車に乗った方々がしばし自転車を停め、ローストチキンをほおばっていた。さらに、尾道から今治までの間には、レンタル・相互乗り捨てが可能なサイクルターミナルが10箇所設置されており、これらは周辺自治体が管理・運営している。加えて、サインやマップも充実している。また、「シクロツーリズムしまなみ」というNPO法人が現地発着のガイド付き自転車ツアーを展開している。
 このように、しまなみ海道は、さすが聖地だけあってロケーション、ハードと、その上に展開されるソフトが渾然一体となってサイクリストを迎えている。
 しまなみ海道開通前(1998年)の今治市への観光客は314万人であったのが、開通後は約500万人に増加している。しまなみ海道の整備をきっかけに、地域住民、事業者、地方自治体が自転車観光客にターゲットを見据えた取り組みを一体的に進めた効果が現れている。


友人達としまなみ海道(因島大橋)を疾走!先頭がワタクシ(^^;)
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しおまち商店街のゲート
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●大隅半島のサイクリングツアーの可能性を探る
 さて、話題は九州へ。今年3月12日に九州新幹線が全線開通して約半年が経過した。鹿児島県によると、7月の同県への宿泊観光客は前年度比23.5%増加している。また、新幹線の終着駅である鹿児島中央駅と指宿駅を結ぶ観光特急「指宿のたまて箱号」は乗車率が95%と、ほぼ満席が続く状況であり、鹿児島市周辺ならびに薩摩半島への恩恵は大きい。しかし、大隅半島へと目を転じると、新幹線開通の波及効果は対岸と比較して大きなものとは言えない。県が7,000万円の予算を投じ、大隅半島への宿泊観光客に対して24時間分のレンタカー利用料金を全額補助するキャンペーンを実施しているものの、その効果については地元事業者から疑問の声が挙がっている。
 そのような状況下、3月下旬から7月にかけて雪丸君と私は南大隅町地域経済活性化協議会からの委託を受け、観光資源掘り起こしと商品開発のためのワークショップを3回開催した。このワークショップには、毎回30名以上の町民が参加されていたのだが、その中で、地元の方々から錦江湾沿いの雄大な自然景観を楽しむことができるサイクリングツアーやトライアスロン大会の誘致に関する意見が挙がっていた。世の中の健康志向・環境効率性への志向を勘案しても、サイクリストをターゲットとしたツーリズムへの需要はまだ伸びる余地はある。ならば一度試行してみようということで、大学時代にサイクリングサークルで全国を回っていた友人I氏と雪丸君、そして私の三人でモニターツアーを企画したのであった。
 鹿児島へと向かったのは、しまなみ海道に行った翌週8月27日であった。朝7時過ぎに輪行バッグに自転車を詰め、九州新幹線に乗って博多駅を出発し、1時間半後に鹿児島中央駅に到着。そこから鴨池港まで自転車で30分ほど走り、フェリーで垂水港へと向かった。そして垂水から佐多岬までの約70kmは、自転車での旅である。途中で、鹿屋のカンパチを堪能し、右手に桜島や開聞岳の雄大な自然を楽しみ、直売所に立ち寄りながら南大隅町役場付近に到着。ここまでは楽しいツーリングであったが、南大隅町内の旧佐多町に入ってからは急なアップダウンが続いた。佐多支所(旧佐多町役場)付近から歯を食いしばって必死にペダルを漕ぐこと1時間半。夕方6時半頃、やっとのことで本土最南端の民宿「なぎさ」に到着した。ここで我々を出迎えたのは、漁師でもあるご主人が自ら仕留めた石鯛と伊勢エビであった。その美味しいこと。地元大隅半島の芋焼酎をいただきながら、疲れを癒した。
 夜が明けて28日の朝6時頃、民宿を出発して佐多岬へと徒歩で向かった。民宿から大隅半島の先端部まで地元の方から教えて頂いた獣道を30分程度歩き、佐多岬からの日の出を拝んだ。この辺りにはソテツが群生しており、南国情緒たっぷりであった。ニューデリーやカイロと同じ北緯に位置するのだから、それもそのはず。1871年に設計された白い灯台の後ろから登る朝日は雄大な景観であった。しかし、岬先端部に岩崎グループの廃墟があるのは残念。佐多岬一帯は岩崎グループが所有しているのだが、国立公園内であり規制が厳しいことや、今後の整備に多額の費用が必要であると見込まれることなどから、今後、投資をする計画はないそうである。施設の改装までは必要ないとしても、防犯防災の観点からも、せめてこれらの施設を撤去してはどうかと思う。
 大隅半島ツーリングの見所は、その独特の景観であった。一帯は2万数千年前の火山噴火により形成されたカルデラであるため、地形は山が急な崖となって落ち込み、急斜面に造られた棚田のすぐ下が海となっている。海風を体全体で感じ、山間部の原生林、山から海の間の田園風景、そして海の向こうの開聞岳を一望しながら走ることができるこの環境は、大隅半島ツーリングの醍醐味であろう。それに加えて、南大隅町には競輪場のような自転車バンクがある。私もバンクを走ってみたのだが、端から見るよりも壁がそそり立っていて恐怖を感じる。しかし、自転車好きの人の中には一度は走ってみたいと思う人が多いのではないだろうか。
 朝10時過ぎにバンクを走った後、大隅半島の根占港から薩摩半島の山川港へフェリーで渡り、自転車で指宿まで移動。指宿で砂蒸し風呂に入った後、観光特急「指宿のたまて箱」号に乗って鹿児島中央駅へ。その後、新幹線で博多へ向かい、19時頃に博多駅に帰着した。


●「錦江湾一周サイクリングツアー」は福岡からの一泊二日の旅にピッタリ
 鹿児島ならではの農畜水産物や焼酎、温泉などの土地の魅力を楽しみながら走る「錦江湾一周ツアー」は、自転車という乗り物を使うからこそ、土地の風土、言葉、薫りを体全体で感じることができる内容であり、福岡からの一泊二日ツーリングコースにぴったりだと思う。健脚の方であれば、鹿児島市からフェリーで桜島に渡り、ゴツゴツした火山岩を間近で見ることができる「溶岩ロード」を起点に大隅半島を南下、そして佐多岬周辺で宿泊。次の日は薩摩半島を頴娃街道に沿って北上するコースがオススメ。
 錦江湾一周ルートは、自転車観光ルートとして先に述べたような大きなポテンシャルを持っていると思う。自転車レーン整備や凹凸の解消、サイン整備など、時間も予算もかかる整備は徐々に進めていけば良いと思うが、自転車観光の情報発信、マップづくり、人々のもてなし意識の醸成、サイクリスト向けの食事・特産品メニュー開発など、比較的お金のかからないソフト面の取り組み、徐々に受け入れの環境をつくっていければ、南九州を代表するサイクリングコースになりうるポテンシャルがあると思う。ぜひ、しまなみ海道のように官民、地域一体となってターゲットを見据えた観光地域づくりを行って頂きたいと思う。


●サイクリストはよく飲み、よく食べる観光客
 サイクリストは体が資本なので、よく飲み、よく食べる観光客である。また、疲れた体を癒すために宿泊を伴うことが多い。加えて、周りの自転車好きを見渡しても、好きなことには投資をいとわない、消費性向が高くアクティブな人が多い。さらには、レースなどの大会を誘致できれば、愛着を持って毎年訪れる観光客になってくれる。地域の観光事業者からすると、なかなか有望な客層なのではないだろうか。
 自転車まちづくりは私の趣味と仕事がクロスオーバーする部分であり、今回の南大隅町のように、観光商品開発の意見を述べさせて頂く仕事は大変ありがたい機会であった。この分野には、これからも関心を持ちつづけていきたいし、仕事で訪れる様々なまちを自転車で走って、そのまちの雰囲気を肌で感じていきたいと思う。


南大隅町に入ってからは、山、里、海の多様な風景を楽しむことができる
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本土最南端の民宿にて、石鯛や伊勢エビなど、大隅の海の幸をいただいた
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佐多岬に登る朝日
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自転車バンクは誰でも走ることができる
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 佐賀市富士町(以下富士町)は、北は福岡市に接しており、面積の8割を森林が占める山間地の過疎地域である。平成20年の人口は約4,500人(高齢化率3割)とピーク時の半分以下となっており、それにともなって事業所も減少している。
 そうした過疎地域において、町民の所得向上や交流人口の増加を目標とした「情報化ビレッジ形成プロジェクト」が始まって、1年9カ月が過ぎた。弊社は佐賀県情報課より、同プロジェクトの全体管理を受託しており、今年度末に事業が終了する。また、事業の推進のために、緊急雇用事業で4名を雇用し、「ふじねっと」というチームを組織し、これまで町内でパソコンやソーシャルメディアの使い方講座、情報化シンポジウム、12回のモニターツアー、特産品のオンライン販売などを行ってきた。
 そして6月1日に、富士町情報化ビレッジ形成プロジェクト事業の成果を、事業終了後も継続するべく、新法人を立ち上げた。その法人の名前は「株式会社インビル」。インビルとは、Information Network Village、すなわち情報化ビレッジの略称である。社長は、ふじねっとのチームリーダー、永田靖智さんが務め、私も経営陣の端くれとして社外からサポートさせていただいている。


●事業目標:農家の所得を60万円向上、プラッ トフォームの運営者の雇用創出(4名)
 ㈱インビルが行う事業は、特産品開発ならびに観光商品開発、そして、地域住民へのICT面のサポート、地域密着のシンクタンク事業である。これらの事業を展開することにより、参画していただける住民の方々の豊かさ(所得やにぎわい)を向上させることと、中山間地における雇用を創出することを目標としている。メインターゲットとしては福岡都市圏・佐賀市内の40~60代女性を想定している。
 中核事業のうち、特産品開発については『健康・簡便・安心』の志向性を持つ女性に対し、地域の高齢者手づくりの「山菜の煮物」の真空パック商品や菓子、惣菜を販売している。また、観光商品開発事業に関しては、健康・美容を前面に出したツアーや、農業体験などの着地型観光に取り組んでいる。全国各地の事例を見ると、韓国情報化村事業や馬路村の柚子関連商品のように、地域の名前を冠した特産品を販売することで地域の認知度が向上し、観光客の増加に成功した、あるいは逆に地域に観光客を呼び込み、土地柄、人柄を知ってもらった上で、継続的に物品を販売するなど、特産品と観光の相乗効果の創出に成功した地域はいくつもある。富士町においても、二つの中核事業を並行させることで、相乗効果を創り出したい。


●町に入って2年、周囲の反応が変わってきた
 町に入って2年足らず。当初は地元住民から活動への疑問、苦情等々色々言われ、心を痛めることもあったが、足繁く地域に通い、コミュニケーションをする中で信頼関係が生まれ、今では「残ってもらわんば困る」「協力しちゃーけん、頑張ろうや」「出資してもよかぞ」などと温かく心強い声をいただくようになった。また、地域の高齢者の方々とチームを組んで事業に取り組む体制をつくることができ、地域協議会の事務局や、JAから主力商品の米のブランド化を委託されるなど、町内での連携が生まれている。


●情報化ビレッジの推進は、発掘、連携、循環の プロセスを回すサイクル
 富士町において情報化ビレッジの地域経営モデルを検討し、一部実施を試みた結果、情報化ビレッジの運営・推進には、以下の3つの段階が存在すると考えている。第一段階の地域資源の「発掘」に関しては、求心力と危機感のあるリーダーの存在が重要。例えば「葉っぱビジネス」で有名な上勝町では横石さんがそれにあたる。富士町では前支所長と永田さんである。特に短期間で効果を出すことが求められる事業においては、地域内に既にネットワークを持ったリーダーが周囲を巻き込んでいかなければ、なかなかコトは動かない。
 そして、第二段階の「連携」においては、地域資源に対して、外部の専門家や地域内の他産業の連携などにより、地域資源をビジネス化する動きをつくる。この段階では、当初は経済的なインセンティブは働かないので、参加のモチベーションは信頼・共感といった心理的なインセンティブとなるが、ここでもリーダーの果たす役割が大きかった。富士町では、支所にお願いして立ち上げて頂いた地域協議会や各種勉強会等に、主要な利害関係者の方々に出席して頂き、地域内の連携を図った。また、ふじねっとのメンバーが取材や講座等で地域の方々とふれあい、信頼関係を構築するにつれ、活動に参加していただける方々が増えてきている。加えて、コミュニケーションのプラットフォームである地域ポータルサイト(ブログ、ツイッター、facebook)を活用して都市住民や顧客に地域資源の魅力を伝えている。
 さらに、その後第三段階として、例えば森林や農村の維持保全、健康改善等の価値感に共鳴した顧客が、地域に外部者としての気づきを与えてくれたり、実際に磨き上げの主体として参加する、「循環」の段階になる。富士町は、今この段階である。一部、ツイッターでイノシシの害についてつぶやくと、イノシシを嗜好する顧客属性に関する情報や、加工法を2時間、延べ40件以上のコメントでアドバイスをくれるということなどがあった。
 また、facebook内に富士町のfacebookページ(公開)と、富士町の活性化ページ(非公開)があり、前者は現在約80名、後者は約40名メンバーがいる。特に後者のコミュニティは、佐賀県最高情報統括官(CIO)をはじめとした情報課の方々も参加され、まちの活性化について活発に意見交換をしており、6月には古湯温泉の旅館でオフ会を開き、将来的なイベント開催についての企画を検討している。
 地域資源を活用した事業化プロセスがもし上手く回りだせば収益が生まれる。そうすれば、協力者も協力したいといった気持ちになるとともに、配当や謝礼といった経済的インセンティブを実現することが可能になる。また、次の資源を磨き上げる(事業化する)ための原資を得ることができるのではと考えているが、まだ富士町はこの段階には到達していない。
 現在、国土交通省が「国土の長期展望」を取りまとめ中であるが、その中間発表では、2050年までに人口が3000万人以上減少、三大都市圏への相対的な人口集中が進み、国土の大部分は過疎になるという予測がなされている。公共事業や企業誘致等の外部からの投資も限られる中で、過疎地域の将来は厳しい。自らの地域資源を見つめ直し、それを求める顧客を捜し出し、事業化する仕組みを如何につくりあげるか。引き続きチャレンジしていきたい。


発掘、連携、循環のサイクル
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4月の事務所びらきの様子。富士支所内から北山ダム湖畔の元うどん屋に、事務所を移動しました

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●着地側が商品企画・提案を行う「着地型観光」
 近年、地域にあるヒト・モノ・サービス等を組み合わせ、内発的な産業を育成することが求められている。なかでも最近は観光を産業振興の重要な施策の一つに位置づける自治体も多く「着地型観光」というキーワードをよく耳にする。今回は、このテーマについて考えてみたい。
 以前の観光は、発地側の旅行会社が企画・販売する旅行に個人、団体で参加するスタイルが主流であった。しかし、情報化の進展により、インターネットで自ら宿泊先や交通手段を予約し、個人や小グループで旅をする観光客が増加している。また、個人のニーズが多様化する中で、観光客が求める「深さ」を発地側の旅行会社が企画し、準備することが難しくなっている。そのような中で、旅先の着地側の旅館や物販・飲食といった観光事業者に加え、様々な分野の事業者や地域住民が来訪者のもてなしに参画し、地域の資源を活かした地元ならではの商品・サービスを開発提供するスキームが各地で展開されている。
 九州でも、別府市の「ハットウ・オンパク」や、長崎市の「さるく博」を初めとして、様々な企業・団体・自治体が上記のような「着地型観光」の商品づくりに取り組んでいる。

●最近、着地型観光の商品づくりに関わる機会が増えています
 平成22年度は2件の着地型観光の商品開発を行う業務に取り組んだ。一つは熊本県からの委託を受け、社団法人山都町観光協会の新たな取り組みとして着地型の観光商品開発のお手伝い、二つめは国交省の委託による佐賀県佐賀市富士町における地域資源を活用したコミュニティビジネスの実現可能性調査である。
 観光客の多様なニーズを満たす商品を準備するためには、地域内の幅広い人材の連携と、地域資源を編集・加工して商品化、来訪者をもてなすといった一連の業務サービスを地域内で行うことが必要である。そのためには、事業に関わる方々の知恵やアイデアを結集し、理解や共働を得ながら、事業を進めていく必要がある。
 そこで、これら二つの事業においては、ワークショップによる資源の掘り起こしとツアー商品の案づくりを行い、それらの案について旅行会社やまち歩きのアドバイザー等、プロの目による磨き上げを行った。その後、商品毎に設定したターゲット層と合致する方々を実際にお招きして、課題を把握し、改善につなげるというプロセスを踏んだ。山都町においては29本のツアー案を作成し、うち1本を試行、富士町においては26本のツアー案を作成し、11回試行した。手前味噌ではあるが、いずれも来訪者の満足度は9割を超える評価を得た。

●着地型観光にはコーディネーターが必要だが、経営的には厳しい
 着地型観光を持続的に展開していくためには、着地側にてもてなしを行う住民や事業者の連絡調整の他、地域内の着地型旅行商品の提供者と市場(旅行会社、旅行者)をつなぐワンストップ窓口としての機能を担う体制があることが望ましい。こうした事業体のことを、観光庁は「観光地域づくりプラットフォーム」と呼んでいる(下図参照)。また、このプラットフォームの運営については、事務局・コーディネーターが必要であるが、この役割は観光協会や株式会社、NPO、行政等、地域によって様々な主体が担っている。
 このプラットフォーム内における売上げの分配について、ある旅行会社の方からお聞きしたところ、一般的な収入の配分は、地元事業者・町民側が8割、コーディネーターが1割、旅行会社が1割程度だそうだ。ということは、例えば5000円の観光商品におけるコーディネーターの収入は500円であり、これを毎週、年間50回実施したとして、毎回20名が参加した場合の収入は年間50万円にすぎない。コーディネーターが第三種旅行業の登録を行うと、利益率は2割となり収益は増加するが、一方で地域外への情報発信力は失われる。地域内の利害関係を調整し、営業を行うコーディネーターの存在が大変重要である一方で、コーディネート事業が独立採算となることは容易なことではない。九州の多くの着地型観光の取り組みをみても、赤字事業であり、行政の補助金等で補填されているというケースが多々見受けられる。

●コーディネート事業の成功事例は、南信州観光公社
 この着地型観光のコーディネート事業で成功しているのが、長野県飯田市にある㈱南信州観光公社である。出資者は飯田市をはじめとした近隣の14市町村の他、JA、交通事業者、新聞社等、周辺地域の中核企業が名を連ねる。
 昨年9月、同社の高橋社長を富士町にお呼びし、お話を伺った。以下は、その概要である。

 飯田市は人口約10万7000人の地方都市である。1996 年度より中高校生を対象とした修学旅行、総合学習プログラム(体験教育旅行)に取り組んでいる。当時は市の商業観光課が受入に関する事務局業務を行っていたが、農業体験の受入が増えてきたことに伴って2001年に第三セクター形態の「㈱南信州観光公社」を設立した。

●約500軒の農家をコーディネートし、中学生に「農村の普段の暮らしを」を提供
 「人との交流」をキーワードに200種類以上の体験プログラムを準備し、体験プログラムの指導は農家をはじめとする住民が担っている。販売は旅行会社が行い、南信州観光公社が受け入れ農家のコーディネートを行っている。農家民泊において学生に提供される体験メニューは、農作業の他、料理や工芸、加工などの農村生活である。

●200以上の商品ラインナップを持つが、農家生活・農業体験が売上げの8~9割
 南信州観光公社では、これまで200本以上の観光商品を企画し、多様なニーズに応える努力をしているが、個人観光客は売上の1~2割であり、その大部分を占めるのが教育旅行(農業体験)である。教育旅行が年間の売上げの8~9割を占めており、年間約1万人の中学生が農家民泊を体験している。個人観光客向け商品の観光公社としての売上げは、一人あたり200~500円であるのに対して、教育旅行は一人あたり1600円になる。加えて、一度に受け入れる旅行者数も100~200名と多い。
 受け入れ農家数は体験教育旅行の希望者の増加に伴って長野県南部地域一帯に拡大し、現在では市内外で約500軒となっている。
 設立4年目以降単年度黒字を計上し、2009年度の売上は1億5千万円。現在スタッフ7名(うち飯田市からの出向が2名)を雇用している。
 農家の所得は、多い所で年間60万となり、農作業を学生が手伝うことで労力的にも助かっているという声が聞かれている。

 このように受け入れが拡大し、参画農家の所得を向上できた秘訣を、「販売」と「受け入れ」の2つの面からみてみる。

●営業先を絞り、訪問・対面で販売
 販売に関しては、1996年から飯田市が教育旅行の誘致、滞在型グリーン・ツーリズムに積極的に取り組んでいたため、営業先がある程度絞られていた。また、高橋社長ご自身が元旅行会社出身であり、営業のノウハウを良くご存じだったという点が大きい。具体的には、旅行会社の修学旅行担当者がオフィスにいる確率の高い夕方以降に営業に行き、しかもプランの信用度を上げるために飯田市の職員に毎回来てもらっていたそうだ。ホームページに掲載するだけの待ちの営業では誘客は困難であり、営業先は教育機関に直接行くよりも、ある程度教育旅行市場を把握している旅行会社に行く方が効率的だそうだ。こうした商品の対面販売が、信頼度を高めることに繋がっている。(財)日本修学旅行協会調べでは、小中学校の体験学習実施率は1986年に18%であったのが、2006年には61%まで上昇している。高橋社長によると、まだまだ教育機関側のニーズは堅調であり、2年半後まで予約が埋まっている状態だそうだ。

●受け入れ面の整備のためには、行政の協力が不可欠
 受け入れ面については、体験農業に参画する意向のある500軒の農家を束ねているという受け入れ可能なボリュームの大きさが、他地域と比較して同社の競争優位な点である。この背景としては、飯田市が1996年から教育旅行の誘致や、滞在型グリーン・ツーリズムに積極的に取り組んでおり、同社の取り組みを全面的にバックアップしていたことが大きい。私も仕事で各地域を回っていて感じるのだが、いくら新参者(コンサルも含む)が地域のことを考えてモノを言っても、中々信用されず、提案事業に参画してくれるまでには、かなりの労力を要する。しかし、役所の人と一緒に行くと、すぐに信頼を得られる。行政への信頼度は強い。
 農家にとっては参加がしやすいという点も、参画者が増えた要因であろう。同社の商品のコンセプトは「ほんもの体験」であり、農家には、無理せずに普段の暮らしをそのまま体験させることが求められている。高橋社長のお話によると、「無理はせず普段の暮らしを見せる方が、提供者側も楽で、学生も喜ぶ。とにかく無理をしなくて良いから、と言っている。一部の成功者が出れば、追随者が続々と出てくる。」とのことであった。
 さらに、この500軒の農家を28地区に分け、各地区につき年間2回ずつの報告会を開催しているのだが、この報告会を定期的に実施することで、各農家が他の農家の取り組みを知ることができ、自然と農家の受け入れレベルが底上げされるそうだ。

●住民、事業者、行政のビジョンの共有が最大のハードル
 南信州観光公社の取り組みをみると、着地型観光事業を持続可能なものとするためには、地域住民、事業者、行政がタッグを組んで、同じ方向を見据えること、受け入れ体制を構築することが必要である。同時に、南信州観光公社のように、ターゲットに的確にセールスを行うこと、農業体験のように安定的に集客・売上げを見込める定番商品を持つことが望ましい。
 今年お手伝いをした山都町と富士町の2地域では、地域が同じ方向を見据えるという、その最初のステップにかなりの時間を要した。
 どちらの地域も中山間地域に位置し、稲作が主力の農村地域であり、今後農業の自由化の流れでますます環境は厳しくなると予想される。そこで、農業が持つ教育的な価値に着目した観光サービスによる所得の拡大への取り組みを進め、その中でも、一定のボリュームの来訪者が定期的に訪れるという教育旅行を柱の1つにするため、教育機関や企業とこうした地域を繋ぐことができないかと考えている。
 そのためには、外向けの営業も必要であるが、地域内の仲間をどう増やすか、という点が最も重要である。いずれの地域も、試行的に数十人単位の観光客をお呼びし、小さくても成功体験を積むところから始めている段階であり、プラットフォームとそのコーディネーターは存在するが、自治体や住民とのビジョンの共有という点では、まだまだのように感じる。しかし、今後もコーディネーターの着地型観光に対する本気の覚悟と、コーディネーターの活動をバックアップする行動派の行政職員との良いタッグが構築できれば、地域の中に少数の成功者が現れ、徐々に地域の参画者は増加するものと期待している。
 商品開発のお手伝いをした身として、地域への経済的な波及が表れてくれればと思うが、それだけではなく、外部者の目が地域に向けられることで、地元の人が地元の良さに気づき、新たな商品が次々に開発され、それを地域住民や外部のファンが何度も楽しむ。そういった息の長い事業になればと願い、応援をしている。


山都町でのワークショップは4回開催
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富士町でのモニターツアーは、当初想定した30名の募集が1日で完売
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「観光地域づくりプラットフォームの必要性」観光庁HPより
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 博多一風堂は、福岡市で創業し、世界に60店舗を超えるチェーンを展開しているラーメン屋である。今年春に創業者の河原社長から、ご自身のこれまでの半生と、今後の展開についてのお話をお聞きする機会があった。その際、如何に海外の飲食文化に適応していくかというご苦労についてのお話に関心を持ったので、NY出張の際には必ず一風堂に行ってみようと考えていた。

 一風堂のHPによると、2008年3月にNYに進出後、オープンからの1年間で20万人以上が来店、年商4億5000万円、日本のラーメン店として初めて「2009年版ミシュランNY」に掲載されたそうだ。NY滞在の最終日に、ディナーで一風堂に行こうかと店を訪れたところ、行列ができており「二時間半待ち」とのこと。凄い人気である。現地にお住まいの方に聞くと、この行列は毎日のことらしい。さすがにこれは無理だと感心しながらも、残念な気持ちで別の店に行った。食事後の帰り道、閉店間際の一風堂の前を通りかかり、無理を承知で「入れますか」と聞くと、「空いていますよ」との返事。さすがに腹は減っていなかったのだが、念願の一風堂NYということで、非常に嬉しい気持ちで店に入った。


何度か店の前を通ったが、いつも行列ができていた

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 のれんをくぐって店に入ると、右側に日本各地の108軒のラーメン屋の丼がディスプレイされ、その前にバーカウンターが設置されている。NYでは、店に並ぶときは店先のバーでお酒を飲みながら待つ習慣があるらしい。店の中は「ラーメンダイニング」というコンセプトで、インテリアも洒落ている。河原社長の祖父は日本画家、父親は美術教師ということで、ご自身も美的センスに溢れる河原社長。一風堂のロゴはご自分でデザインされ、店舗のデザインも監修しておられる。さて、メニューはダイニングというだけあって串焼きやサラダ、揚げ物などの単品メニューが多く、シメにラーメンを食べるというスタイル。ラーメンは日本でも定番メニューである「赤丸かさね味(Akamaru Modern)」や「白丸元味(Shiromaru Classic)」に加え、アメリカ人が大好きなオイスターから出汁を取り、豚骨スープと合わせて、チャーシューの代わりにアンキモを使ったラーメン「潮采(Shiosai)」という期間限定メニューもあった。ラーメンの価格は14ドルであり、チャージや消費税を加えると、日本のほぼ2倍である。


博多一風堂NYの限定メニュー「潮采」

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 私たちのテーブルに配膳してくれた店員はイケメンの外国人であったが、日本に留学した経験があるらしく、日本語が堪能。「原材料は醤油以外全て現地のもの」だそうだが、海外の食材を使って日本と変わらない味を実現している。日本のお店の味をそのまま再現しているところが人気の秘密だそうだ。福岡で何度も食べたことがある「赤丸かさね味」を食べてみて、確かにスープの味は福岡で食べる一風堂の味と同じだと感じた。ただ、麺をすするのが苦手な外国人のために麺を短くし、レンゲを大きくして、麺をレンゲに乗せて口元まで運びやすくするなどの工夫をしている。


店員のユニフォームの肩には九州をかたどったロゴがプリントされている

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 以前テレビ番組「ガイアの夜明け」で一風堂のシンガポール進出についてのドキュメンタリーを見たのだが、現地の食通を数十人集めて試食会を開催し、出た意見をもとにイスラム圏の食文化に合わせて豚を使わず、スパイスを効かせたラーメンを開発する様が映っていた。日本の食文化やデザインセンスの強みを核に持ちながら、現地の食文化や客の好み、生活様式に合った新しいラーメンを創造するマーケティング力は、ラーメン界のみならず、日本の飲食店の海外進出のモデルになるのではと感じた次第である。

  戦前のムラ社会では「困ったときはお互い様」という日常的な助け合いの関係性ができあがっていたが、戦後の高度経済成長期、地域から都市部に人口が移動し、コミュニティのあり方は変容してしまった。物質的に豊かにする上で効率の良い社会を作ったが、地域社会、かつてあった地域のつながりは分断された。このつながりを復活させる手法として、NPO法人グラウンドワーク福岡(以下GW福岡)と共同で「タイムバンキング」の可能性について研究している。今年度、国土交通省の助成をいただき、事例調査および八女市上陽町での実践を行う予定である。
  なお、タイムバンキングとはアメリカで生まれた考え方であり、基本的なルールは1時間の奉仕活動、お手伝いに対して、1タイムクレジットのやりとりを行うというように、お互いの助け合いを促す仕組みであり、全米で100近くの団体が活動している。 


●米国におけるタイムバンキングの資金源は個人や法人からの寄附金
 去る9月、GW福岡の齊藤さんと、タイムバンキング発祥の地アメリカでの運営事例を調査するため、ニューヨークに渡った(福岡空港→成田空港→ロサンゼルス国際空港→JFK国際空港と、24時間かけての長旅であった...)。次の日、NPO・NGOを広報面で支援する中間組織であるサラピス財団のエリック・オズモンド氏にお話を伺った。エリック氏は、米国の様々な地域でタイムバンキングを運営している団体の連携を図るため、関係者を集めて交流イベントを開催している。英国のタイムバンキングは、国や地方自治体、宝くじ財団からの補助金を活動資金としていたが、アメリカのタイムバンキング運営団体の多くは個人や法人からの寄附が資金源であり、サラピス財団も同様に寄附金を元手に活動している。日本と欧米では寄附文化が大きく異なるため、日本で運営する場合の財源確保が当面の大きな課題である。サラピス財団はマンハッタンの中でも高級ブランドや最先端なファッションの店が立ち並ぶSOHO地域に、複数のNPOとシェアする形でオフィスを構えていた。このオフィスが大変お洒落であった。ここ数年、米国の就職希望ランキング1位が株式会社ではなくNPOであるということは聞いていたが、米国におけるNPOの存在感を感じた。 


サラピス財団が入居する1階にはシャネルが入居するファッショナブルなビル
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●社会貢献活動の一環としてタイムバンキングに取り組む団体もある
 ニューヨークでは、訪問看護を行う非営利団体である「ビジティング・ナース・サービス・オブ・ニューヨーク(以下VNSNY)」にお話を伺った。VNSNYは社会貢献活動の一環としてタイムバンキングに取り組んでおり、従業員40,000人の中で、タイムバンキングに関わるスタッフは14名(フルタイムは7名)である。VNSNYでは、ディレクターのマシさんをはじめとしたスタッフの方々にお話をお聞きした。以下、マシさんからお聞きした話をかいつまんでご紹介する。

・VNSNYは2007年にタイムバンキングに取り組み始め、初年度の利用者は245人であったが、2010年9月現在では1,572名まで増加した。
・利用者は、名前、住所、生年月日、提供できるサービス等をVNSNYのコンピューターに登録しており、利用者はVNSNYに対して求めるサービスをリクエストし、VNSNYのスタッフがそれを提供できる人を検索するという仕組みである。
・タイムバンキングを介してやりとりされている活動は、教会や学校、病院、老人ホームでのボランティア、家庭教師、母親支援、翻訳、子どもの世話など幅広い。
・中国人街、メキシコ人街などではコミュニティの状況は良いとは言えない。また、言語が異なるコミュニティ間では同じビル内でも交わることが少ない。そこで、VNSNYスタッフがカラオケ大会を開催し、信頼関係を築く場づくりをしている。
・タイムバンキングを利用した履歴をコンピューターに記入しているのは、登録者全体の10%でしかない。しかし、実際は様々な助け合いがやりとりされており、確実に活動は広がっている。

 タイムバンキングは、かつてあったお互いの助け合いの行動を、目に見えるチケットやPCといったツールを使って復活させようという取り組みであり、「相互扶助の活動が行われているがタイムバンキングが利用されていない状態」というのは、この活動が目指すべき姿の一つだと思われる。マシさんはその状態のことを「嬉しい問題だ」とおっしゃっていたのが印象的だった。


VNSNYは多人種のコミュニティに対応するため、米国人に加えて中国人、メキシコ人など、スタッフの人種構成も多様
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●タイムバンキングの効果
 タイムバンキングには、地域コミュニティの活性化という効果がある。英国クリエイション・ディベロップメント・トラストのドーン・デイビーズ氏によると、「タイムバンキング導入以降、地域コミュニティが活性化され、居住環境が向上し、結果的に地価の上昇が見られた。また、人口流出に歯止めがかかった。」という。タイムバンキングと地価上昇の因果関係は分析の余地があるが、周辺地域の地価に対する市場の評価をみても、人口の推移を見ても、有効であると言える。
 また、タイムバンキングは住民の健康状態にも良い影響を与える。以前、NPO法人たすけあい遠州が運営する「もうひとつの家」を訪れた際、平均年齢90歳を超える高齢者の方々が時間通貨「周」をやりとりしており、大変元気に会話やゲームを楽しまれていた。聞く所によると、ここを訪れる高齢者で老人性認知症になった人はいないとのことであった。アメリカの政治学者R・パットナムは、地域住民同士の信頼関係やつながりを「社会資本(ソーシャル・キャピタル)」という指数で表しており、「社会資本指数が高い地域は、地域住民の健康水準が高い」 との相関関係を指摘しているが、袋井市の事例は、まさにこれにあてはまっている。繰り返しになるが、タイムバンキングは人と人とのつながりをつくる道具である。それが浸透することにより、地域住民にとっての住み良さや健康状況が向上する可能性もあると考える。 

●八女市上陽町でのタイムバンキングを試行する
 GW福岡のスタッフの方々と研究する中で、タイムバンキングの運営方式には、個人間の助け合いを主とする「個―個型」と、センター主催のイベントやボランティア募集に対してクレジットを発行する「センター型」の運営方式があるという話が出ていた。今年度は八女市上陽町でタイムバンキングの実証的な取り組みを行うのだが、タイムバンキングの仕組みを地域住民に説明し、参加者の輪を広げていくためには、最初はNPOの職員が中心となってイベントを開催し、住民に使う楽しさをアピールする「センター型」のスタイルを取り、徐々に個々のやりとりを増やしていく展開が望ましいものと思われる。使用するチケットは「環」と名付けられた。この名前には「めぐる」という意味の「環」や「~できる」という意味の「CAN」といった意味が込められている。農作業に対して「環」を配布したり、「環」を利用できる居酒屋等のイベントを通じて、環の利用の楽しさ、利便性を地域住民に体感してもらうとともに、課題を把握する予定である。
 八女市上陽町での取り組みは歩き始めたばかりである。今後、地域に根付くためには、仕組みの説明・普及活動、地域内で核となる人や場所の確保、運営資金など様々なハードルがあるが、上陽町での実証を通して、人と人とのつながりを復活させることができれば、タイムバンキングは地域社会における「豊か」な暮らしの一助になることができるのではないかと思う。


運営のスキーム
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尊敬する富士町の専業農家Mさん(58歳)のお話し。

農業はもちろん、スキーや料理、猪の解体などの達人。

とても奥さん思い。


●跡継ぎとして農業をはじめる。

農業は始めて47年、きっかけは農業高校卒業してから家が農家で後継ぎですからね、必然的に...ということです。佐賀農芸富士分校の農業課で3年間勉強してきました。その中で野菜部をたちあげ、トマトを種からまいたり、接木をしたりと、いろんな角度から研究してきました。そして卒業後、付加価値の高い農業をしなければということでまず、インゲン作りに取り組みました。


●インゲンから、ほうれん草、トマトへ。

最初はインゲン、ありとあらゆる路地野菜を作り、それからほうれん草の栽培を始めました。たまたまその時、茨城の筑波に研修に行くチャンスがあり、そこのほうれん草作りを見てきたときに、『これだ!』と。早速、機械を借りてきて栽培し、データを取り、この栽培方法は能力的、収穫的にもとても良いことが分かったんです。また、県の補助もあり、JA南山ほうれん草部会は飛躍的に収益を上げることができる野菜作りができるようになりました。ここまで行き着くまでにいろんな物を作りました。7年前にはブルーベリーを始め、5年前からはトマトのハウス栽培もやっています。


●自然にあるものすべてを使って栽培する

トマト栽培でのこだわりは、トマトを1本の苗木から2本の木を生やしていく、こうすると花がしっかりつくんですよ。そうしないと幹ばかり成長して実が付かないからね、あとは土作り。ヨシとかカヤなどの荒い素材を使って20年かけて作った土だから地力があり、水をやらなくても育つ、これが有機の土の力。もちろん除草剤は使ってないし、そのおかげでトマトの果肉がしっかりして、美味しいトマトができる。やっぱり土が命だね。 それと夏場の高温時期に対する環境作り、暑さ対策はとても大事です。

暑すぎるとトマトは花が受粉しなくなるのでやはり快適な環境作りが重要になってくる。これは他の野菜も共通で、特にほうれん草は冷たい水と土の力、あとは緑の風、風の力がとても大切で夏場の高温には山の谷間の風をうまく使わないと病気になるんだよ。

また農業はエコの典型的なモノと思っているよ。草を刈って飼料にする、冷たい水をかける、自然の風をあてる、冬場に気温がマイナスになることで害虫を殺して、野菜の甘みを出す、というように無駄な燃料や余分なモノは一切使わず、自然にあるものすべてを使って栽培するということ。こういう点で農業=エコだと思っている。


●土は農家の魂

一番大変だったのは台風で全部全滅したことだね。でもそれから復旧して、また土石流で土が全部流されて駄目になって復旧しての繰り返しだね。農業は自然が相手だからね、果敢にチャレンジすることが大事よ。

それとやっぱり、ほうれん草農家仲間が以前は120人くらいいたが嘉瀬川ダムや高齢化で今は30数名になってしまったことが精神的にはつらいですね、ダムで離農する農家の土は農家の魂だからダムの底に埋めるのは我々農家にはつらすぎると国交省にお願いしてその土を一トン車で運んだりもしました。

しかし、一方でここ数年、自分たちを見てきた若い農家が育ってきた喜びはあるよ。彼らが農業を本格的に取り組んでくれることが本当にうれしいですね、農業後継者との出会いがあり、その後、農業のサポーターとして帰ってきてくれることがうれしいですね。

あこがれでは飯を食えない、生活力がないと大変、それにはやっぱり自分たちの商品に付加価値をつけることが大切で、それを作るのも我々の役割だと思っています。商品作りとしては、野菜作りは物語づくり。土の物語、水の物語がないと商品は育たない。ぜひ食べてみたい!と思わせるものを今後も野菜に詰め込んでいきたいと思っています。


●これから

新規就農者の受け入れなど、町外から来る人に対して皆で連携して地域のサポーターとして地域を守っていきたいですね。人がいなくなることが一番寂しいから、緑の風が吹いて、人が来るようになるとことが一番いいですね。

「何も無いのが一番いい!田舎はイイね!」と住んでいる人がこの「宝の山里」に気づくことが大切。農家だけではなく、商工、観光旅館、林業そういうみんなの総合力が結集しないと地域の理想には近づけないと思っています。


このMさん、酔ったときのあだ名は「エロ観音」w


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ふじねっとHPより


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土曜の夜、通りを歩くだけで肩がぶつかる。

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上海蟹

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雨後の筍。

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上海の観光名所「豫園」
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豫園を出ると、しばらく仏像やパンダのぬいぐるみ等を売っている土産物屋が軒を連ねる
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歩いて10分もすると、徐々に道幅は狭くなり、怒号が飛び交う路地裏

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原付バイクがけたたましくクラクションを鳴らしながら走る
よくこんなスペースを走ろうと思うな~

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魚介類、カエルなど

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この狭い路地でニワトリをつぶしながら売っていた
血なまぐさい臭いが漂う路地裏
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上海の表通りと裏通り。
わずか徒歩10分で、全く違う表情を見せる。
グラウンドワーク マーサー・ロンド・カノンタフの皆さんと。
ここでは半年ごとに60名の失業者を受け入れ、工作や菜園づくり等の職業訓練を行っている。
ウェールズは元々炭鉱町として栄えたが、その後これといった産業がそだっていない。

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失業者の訓練プログラムの一環で、環境効率性の高い住宅を建設中。

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障がい者の方が作った工作。

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マーサー市の市長と面会。首から提げた黄金の首飾りがなんとも仰々しい(笑)

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里山の中に立地している。

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グラウンドワークカフィリーの農園を視察。
ここでも失業者の方々が農業研修を行っていた。

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ウェールズの土壌は貧しく、工作に適さないため、盛り土をして菜園を作っていた。

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牧草地帯が続く、風光明媚な地域。

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続いて、グラウンドワーク・ブリジェンド&ニーズ・ポートタルボットへ。
ここには、英国でも最も古い製鉄所があり、これと周辺を巡るトレッキング等、
観光に力を入れている。

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